2020年6月27日
カトリック垂水教会 信徒の皆様
担当司祭:林 和則
7月・8月のミサについて
♰主の平和
6月14日から、主日のミサを再開いたしました。
その後、運営委員会で分散方法によって実施されたミサを振り返って検討した結果、やはり午前中に3回のミサを行うことには種々の困難があるということになり、その結果、7月と8月の分散ミサを以下のように実施することに決定いたしました。
7月 | 5日 | 12日 | 19日 | 26日 | |
9時 | A垂水地区 | B舞子地区 | A垂水地区 | B舞子地区 | |
11時 | C塩屋 +明舞北 |
D垂水北 +明舞南 |
C塩屋 +明舞北 |
D垂水北 +明舞南 |
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8月 | 2日 | 9日 | 16日 | 23日 | 30日 |
9時 | C塩屋 +明舞北 |
D垂水北 +明舞南 |
C塩屋 +明舞北 |
D垂水北 +明舞南 |
C塩屋 +明舞北 |
11時 | A垂水地区 | B舞子地区 | A垂水地区 | B舞子地区 | A垂水地区 |
(※ A:垂水 B:舞子 C:塩屋・明舞北 D:垂水北・明舞南)
*8月15日(土)聖母の被昇天
9時:C:塩屋+明舞北+ D:垂水北+明舞南
11時:A:垂水地区+ B舞子
これまでのように、3密対策を徹底することは変わりません
- 密集を避けるために
上記の表に従って、自分の属する地区のミサに参加するようにしてください。
*特別な事情があって、他の地区の方の車に同乗して来られる場合は運転者の方の地区のミサに参加しても構いません。
*ミサの入れ替わりの時が混雑しないために、ミサに来る時間を次のようにいたします。下記の所定の時間より前には来られないようにお願いします。
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- 9時のミサに来られる方は8時40分以降に来てください。
- 11時のミサに来られる方は10時40分以降に来てください。
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*来られた方は教会敷地内での会話を避け、聖堂内で、ミサに与るために黙想し、主と向かい合う心の準備をしてください。「聖書と典礼」を用いて、当日の朗読箇所を読み、黙想することもお勧めします。
*ミサが終了しましたら、不要不急の会話、作業は避け、すみやかに帰宅するようにしてください。
*座席は一列ずつ空けて、座ってもらいます。着席可能な場所に「聖書と典礼」を置いてありますので、そこに着席ください。家族(特に小さなお子さん連れ)また、介助を必要とされる障がい者の方は並んで座ってもらって構いません。ただ、できるだけ密接は避けてください。
*聖体拝領の際、間隔を開けて、マスクを着用したままで、中央に一列で並んでください。司祭の前に出て、司祭の「キリストの御からだ」に「アーメン」と答えて、一歩、横にずれてマスクの下から、聖体拝領をしてください。
なお、高齢者や障がい者、体調の悪い方は座席でお待ちください。聖体拝領の列が終わった後、前から順に司祭が向かいます。希望される方は手を挙げてください。聖体拝領は座ったままでも構いません。座席での聖体拝領を望まれる方は一階席、できるだけ前の方に座るようにしてください。
- 密接(間近での会話や発声によって飛散する飛沫による感染)を避けるため
・ミサの中での会衆の応唱を先唱者が内陣で、一人でマイクを持って唱えます。
先唱者は、従来の祭壇奉仕者(8人)に交代で行ってもらいます。
*全員で唱えるのは「アーメン」「信仰宣言」「主の祈り」だけです。その際にも小声で唱えるようにしてください。
*「平和のあいさつ」の時は黙って、互いに頭を下げ合います。
・「あわれみの賛歌」などのミサ聖歌および入祭の歌などの聖歌を歌いません。
先唱者と司祭で唱えます。
*入祭、拝領、閉祭の時にはオルガンの独奏があります。
③密閉を避けます。
ミサ中、聖堂の正面、南面中央の扉を開いておきます。
その他、各自でできること
・必ず、マスクを着用してミサに参加してください。聖体拝領の時だけマスクを外す(ずらす)ようにしてください。
・ミサに来る前に各自、検温をし、平熱でない場合、自宅でお祈りください。また体調が悪い場合も同様です。その場合、主日のミサ参加の義務は司教によって免除されています。
・アルコールティッシュ、消毒用ジェルなどを持参できる方は持参し、入堂時、聖体拝領の前などに手の消毒をお願いします。
持参できない方は入堂前に必ず、お手洗いで石鹸で手を洗うようにしてください。その際、お手洗いが密にならないように、信徒会館隣接のお手洗いなど、分散して行ってください。
7時30分からの開始で行います。
前回の通達でもお伝えしましたように、教会の諸活動は中止し、信徒会館の施錠も継続いたします。聖堂は平日も午後5時まで開放しておりますので、聖体訪問は可能です。
今、「建物」としての「教会」としては「ミサを捧げる」ことと「聖体を訪問する」ことのふたつの目的に集中していると言えます。そしてこのふたつの目的こそが教会の命の泉であり、すべての活動はそこから意味と力を得ていると言えます。逆に言うと、そこから意味と力を得ていない活動は人間的な考えに捕らわれたものとなり、やがて涸れるか,淀んでいくことになります。
私たちの活動は神の思いを実現するために、キリストを伝えるために、自分を道具として行っていくものです。そのためには、ミサを通して絶えず、みことばと聖体の秘跡に立ち帰り、そこから意味と力を得ることが必要です。
そのことをこの時期に改めて、見つめて頂きたいと思います。
祈りのうちに。