1月のミサ予定

《1月ミサ予定》 主日10:00〜
January Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

1月1日(木)   神の母聖マリア Fr. アマド
Solemnity of Mary, Mother of God Fr. Amado

1月4日(日)  主の公現 Fr. アマド
ミサの中で二十歳の祝福式
The Epiphany of the Lord
Celebration of Coming of Age Fr. Amado

1月11日(日) 主の洗礼 Fr. アマド
Baptism of the Lord Fr.Amado

1月18日(日) 年間第2主日 Fr. アマド
2nd Ordinary Sunday Fr.Amado

1月25日(日) 年間第3主日 Fr. 中川
3rd Ordinary Sunday Fr.Nakagawa

2025年12月21日 待降節第4主日(A年)のミサ 説教の要約

《 そ の 名 》
th Sunday Advent A
2025.12.21ミサ説教

今日、私たちは待降節の最終日曜日を迎えています。すべての待降節の蝋燭は、既に灯されています。典礼はクリスマスが近づいてきて、神はすぐそばにおられると言っています。

マタイ福音書の中には「主の天使が夢に現れて言った。ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」と書いてあります。

その前に、主の御使いが、ザカリアという洗礼者のヨハネの父親に言いました「恐れることはない」と。昨日の福音書の中で、天使ガブリエルはおとめマリアに、「おめでとう、恵まれた方。神があなたと共におられる。恐れることはない。」と挨拶しました。クリスマスの前夜の福音の中で、主の天使が非常に恐れた羊飼いたちに告げました。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。」と。「おそれるな。」という言葉は何度も繰り返し、新約聖書に出てきました。そのため、その言葉の大切さを疑う必要はありません。あるいは、恐れる理由は十分ではないのでしょうか。

2か月前、一人のフィリピン女性が私に、「神父様、祈りが私たちの国の腐敗を解決できると信じますか」と尋ねました。 彼女がなぜそう尋ねたのか、私にはわかっています。きっと、彼女はフィリピンにはあまりにも多くの腐敗があり、それを止めるために私たちにできることは何もないと感じていたのでしょう。選出された公務員・政治家・国のリーダーたちの多くは、全員でなくとも、すでにその過ちを犯しています。もっと悪いことに、彼らは手出しできない存 在のように見えます。

確かに、彼女は、祈りは状況を変えるのに何もできないと思ったのでしょう。彼女の恐れには理由があります。本当に、私の国は暗闇の内に陥っています。状況は深刻です。彼女の質問は、私に立ち止まって国の現在の出来事について考えさせました。日本も、多分、同じ質問を考えられるかもしれません。今、日本で起きているすべての事態を考えると、私たちの国はどうなってしまうのでしょうか。物価が絶えず上昇し、お米が不足し、自然災害や人材不足なども見られます。将来に不安を感じて、パニックになりそうです。未来は希望がないように思えます。私たちは何を心配しているのでしょうか。何が起きるのでしょうか。私たちには未来がどうなるかわかりません。何よりもまず、私たちは闇に包まれています。

「恐れることはない。」と天使ガブリエルは私たちを安心させ、「生まれる子の名はインマヌエル、すなわち、神は我々と共におられる」という意味であると言います。天使のメッセージは、私たちの希望です。

暗闇の中にあっても、「光は見い出される」と天使は私たちを確信させてくれます。そして、その光はインマヌエルで、神は我々と共におられると言う名の意味です。その名前は、彼が遠く離れることなく、私たちと共にいてくださり、すぐそばにおられ、近さ、その親密さという約束です。それは、主が私たちに心に留めてほしいと考えていること、すなわち、主は私たちの近くにおられるという主のメッセージです。別の言葉で、言えば、私たちは一人で旅をしているのではなく、思いやりと慈しみ深い神と共に歩んでいます。

兄弟姉妹の皆さん、闇に包まれ、孤独で、弱く、心細く、不安を感じるかもしれません。けれども、本日の聖書朗読はおとめマリアの子、つまりインマヌエルについて語っており、それは大きな慰めになります。インマヌエルの中に、私たちは共に旅をする仲間を見い出します。その方は私たちが握りしめることのできる温かい手を持ち、寄り添って泣くことのできる肩を持ち、裁くことなく耳を傾け、知恵と慰めを語る口を持ち、そして、時には困難に挑戦する勇気を与えてくれます。そして、すべてを理解し、許してくださる心をもっています。

兄弟姉妹の皆さん、インマヌエルは、私たちの恐怖を取り除くのではなく、そのすべての中で一緒に歩んでくださいます。暗闇の内にいる人々にはインマヌエルが必要です。いつも一緒におられ、力と支えを与えくださるからです。

2025年12月7日 待降節第2主日(A年)のミサ 説教の要約

《 片 付 け 》
2nd Advent A
2025.12.7ミサ説教

私の子どものころの思い出です。ある日、父が仕事から帰ってきて家に入ったとたんに言いました。「汚い。何で物がめちゃくちゃに散乱しているんだ。」と。母をはじめ、姉と私はやっていることをやめて、家の中のものを片づけ始めました。父は汚い散らかった家が我慢できませんでした。見ると、すぐ不平を言い出しました。母は姉と私に、「朝、起きたら、まず、自分のベッドを片づけるように」と言いました。本当に、家庭、家族は子どもたちにとって、最初の学習環境です。

さて、垂水教会での、ある日の午後のことです。近所の子どもたちが教会のグランドで遊んでいるの見て、私は彼らの方に近づきました。すると、一人の男の子が友達にお菓子を配って、また、お菓子の紙を集めたのが見えました。日本人にとって、清潔さは大切です。それは幼い頃から教えられます。子どもたちは定期的に手を洗い、ゴミはゴミ箱に捨て、借りた場所を去る前に、そこをきれいにするように教えられます。

スポーツの試合が終わった後、あなた方がスタジアムを去る前に、自分の場所を掃除している姿を世界が何度も見ました。世界中の人々があなた方の行いを見、褒め、感銘を受けました。

兄弟姉妹の皆さん、くさい臭いがするので、私たちはきたない人たちから離れようとします。その人たちの臭いや見た目が我慢できません。

待降節の第二の日曜日の福音は洗礼者のヨハネについて語っています。

福音によりますと、彼は水のない場所、つまり、荒れ野に住んでいました。彼の服はラクダの毛と革のベルトで出来ていました。彼のライフスタイルは禁欲的でした。彼のメッセージは悔い改めだったということです。すなわち、「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と。予言者イザヤは彼についてこのように話しました。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために荒れ地に広い道を通せ。」と。彼の方に誰が勇気をもって近づくのかが私にはよくわかりません。

動物の皮で作った服を着て、水が不足している場所に住んでいる男性の臭いを嗅いでみますか。

もしも、洗礼者ヨハネの臭いや見た目が我慢できないとしても、彼のメッセージには耳を傾けるべきものです。洗礼者はこのように宣言しました。「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と。悔い改めることは彼の明確なメッセージでした。私たちは何度も繰り返しそれを聞きました。よくそれを知っています。しかし、今回は、悔い改めは二つの点で理解しましょう。まず、散らかった物を片づけなさい。自分の汚れは自分で掃除すると言う点で理解しましょう。罪を犯すと、人生がめちゃくちゃになります。罪はめちゃくちゃです。罪は乱れです。「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と洗礼者ヨハネは宣言した時に、それは回心し、魂を清め、正しい生活を送り、罪から自分を解放し、神の元に立ち帰るという意味です。自分の部屋を掃除するとき、私たちはごみをカーペットの下に隠すのではなく、むしろ、捨てます。というのは天の国は近づいたからです。主が来られるからです。私たちは主の来臨に備える必要があります。めちゃくちゃになったものを片づけると、他の物のためのスペースが出来ます。私たちは人々を家に迎え入れることが出来ます。悔い改めると、私たちは神に人生のスペース、場所、空間を与えています。神を歓迎します。第二朗読では、パウロは人々が調和して生きるよう促しています。彼は、クリスチャンが必ず皆同じではないことを知っています。文化、思い、宗教、性格、などという違いがあると認識しています。しかし、彼は彼らが一致して生き、一緒に神を賛美する声をあげるよう強く進めています。一致ということは、皆が同じだということではありません。一致は皆が互いに、歓迎し合い、許し合い、理解し合い、尊敬し合い、愛し合うことです。一致は相手に対して、心を開くというイエスの模範に倣い、従うことなのです。

兄弟姉妹の皆さん、このパウロの言葉・教えによって、私たちは悔い改めのもう一つの意味を学べます。それは他者を受け入れ、互いを認め、理解し、許し合い、温かく歓迎し、和解し、正しい関係に向かって、他者の方へ歩みよると意味します。主の降臨の準備をしながら、洗礼者ヨハネの声に耳を傾けましょう。

自分の家に帰ってきたら、散らかっているものを片づけて、イエスと他の人々のために、場所を空けましょう。

 

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12月のミサ予定

《12月ミサ予定》 主日10:00〜
December Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

12月7日(日) 待降節第2主日 Fr. アマド
2nd Sunday of Advent Fr.Amado

12月8日(月)  無原罪の聖母マリア Fr. アマド
Immaculate Conception of Mary Fr.Amado

12月14日(日)  待降節第3主日 Fr. 中川
3rd Sunday of Advent Fr.Nakagawa

12月21日(日)  待降節第4主日 Fr. アマド
4th Sunday of Advent Fr.Amado

14:00〜19:00頃 中高生会合同 クリスマスの集い 信徒会館にて
From 2:00 pm to 7:00 pm A Joint Christmas Gathering of Junior and Senior High School students organized by Kobe District and hosted by Tarumi Catholic Church.

12月24日(水) 
17:00 子どもたちによる聖劇
18:00 主の降誕 夜半のミサ Fr. アマド
ミサ後 信徒会館にて おぜんざい と ホットワインなどのお飲み物をご用意しています。

·5:00 p.m. – Play about the Nativity will be performed by Members of Kodomo Kai.
·6:00 p.m. – Christmas Vigil Mass Fr. Amado
·After the mass, zensai, hot wine and other beverages will be served at the parish hall.

12月25日(木)  
10:00 主の降誕 日中のミサ Fr.アマド
Christmas Mass Fr. Amado

12月28日(日)  聖家族 Fr. 中川
11:30  聖母マリアに捧げる感謝のコンサート
Feast of the Holy Family Fr.Nakagawa
11:30 a.m – A Thanksgiving Concert Dedicated to the Virgin Mary.

12月30日(火)
18:00 大学生と高校生とアマド神父様との集まり
6:00 p.m. – University and High Students’ Christmas Get-together.

12月31日(水)
18:00 タガログ語による感謝のミサ Fr. アマド
6:00 p.m. – Thanksgiving Mass in Tagalog. Fr. Amado

2026年 1月

1月1日(木)   神の母聖マリア Fr. アマド
Solemnity of Mary, Mother of God Fr. Amado

1月4日(日)  主の公現 Fr. アマド
ミサの中で二十歳の祝福式
The Epiphany of the Lord Fr. Amado

2025年11月16日 年間33主日(C年)のミサ 説教の要約

《 最後まで、忍耐をもって 》
33rd Sunday C
2025.11.16ミサ説教

ある日のことです。「大変ですね」と一人の信徒が言いました。「何のことですか」と私は答え尋ねました。「昨日の夜ニュースによると、スーパー台風があなたの国に上陸して、大雨と猛烈な風をもたらしました。高い波が多くの家屋を飲み込み、橋が崩落し、激しい洪水が家屋や建物の中に入り込んだということです。自然災害がつぎからつぎへと起こりました。」と信徒は言いました。その日のテレビで、信徒が話題にしていたニュースが何度も繰り返し放送されました。信徒の愛情深い言葉は、私にとって慰めになりました。フィリッピンで起こった多くの自然災害の被害者の人々が、本当にかわいそうです。
実際に、そのようなニュースは非常に恐ろしいです。皆さんは世界の終わりを恐れていますか。あるいは、この訊き方にしましょうか。あなたがたは、世界が崩落していると感じていますか。そして、神はどこにおられるのだろうと考えていますか。人々が神殿の素晴らしさや美しさを見て話していた時、イエスは神殿の完全な破壊について話しています。話の途中で、イエスは、戦争、迫害、暴力、そして、親しい関係の中で分裂や対立について話し始めています。これは本当に怖いです。このような状況下で、どうすれば普通の生活を送れるでしょうか。争いのために、自分の親しい人々と離ればなれになりたい人はいるでしょうか。これは本当にひどい
ことです。
災害や分裂は、私たちの命を脅かす可能性があります。それらは日常生活や習慣を乱し、私たちの土台を揺るがし、自分の限界や弱さを意識させます。また、心の安らぎや穏やかさを取り除いてしまうこともあります。
このような時、信仰を捨ててしまう人々がいます。残念なことです。信仰を守り生きるための戦いは、確かなことであり、大きな挑戦です。
兄弟姉妹の皆さん、人生の課題が重すぎると感じる時、命が脅かされているとき、諦めて課題に降伏したくなる時、このような時こそイエスの言葉を思い出すべきです。「あなた方の髪の毛の一本も決してなくならない 。忍耐によって、あなた方は命を勝ち取りなさい。」と。忍耐心によって 、永遠の命・救いを得るのです。

ある日曜日の朝、私は吹田教会へ向かう途中、ちょうど教会から出てき たばかりの年配の女性に会いました。立ち止まって挨拶をしました。明らかに、彼女は歩行に問題を抱えていました。足がむくんでいたのです。非 常に悪いです。彼女は私に、高齢と悪い足のせいで、教会から離れること になるかもしれないと話してくれました。でも、彼女はそうなることを望 んでいませんでした。だから、困難なときにさえ、毎週日曜日に、教会へ 行こうと精一杯努力していたのです。私は彼女の信仰に感心しています。

彼女の存在は、彼女の信仰と忍耐の証です。このような困難な時こそ、私 たちは世界や周りの人々に自分たちの信仰を示すことが出来ます。このような苦しい時、辛い時であっても、私たちが善行をし続けることを希望します。

 

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2025年11月2日 死者の日(C年)のミサ 説教の要約

《 神の手で 》

All Souls Day 2025
2025.11.2ミサ説教

このミサの中で、私たちはすでになくなられたすべての人々のために、特に、あの小さな箱の中の小さい紙に名前が書かれている人々のために、祈ります。

今日の典礼は、私たちがこの世を去った後に何が起こるかを思い起こさせます。

死後の世界についての私たちの祈りと黙想は、本日の第一朗読から取られています。葬儀のミサの時、この朗読が使われています。知恵の書の中には「神に従う人の魂は神の手でまもられ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和の内にいる。」と書いてあります。この真理ついて考え、それに従って生きるように努めるのがよいでしょう。この朗読は何を言っていますか。

この朗読は、死についての揺るがない真理を語っていますが、私たちはその真理が当然のことだと考えています。結果として、死は私たちの多くにとって不安の原因となります。私たちみんな、あるいは多くが死を恐れています。どれくらいの人がそれについて公に話しますか。たまにしか話 さないでしょう。死についての理解は旅立ちであり、別れであり、辛いさよならです。それは旧約聖書の死についての理解と同じようです。「愚か 者たちの目には彼らは死んだものと映り、この世から旅立ちは災い、自分 たちからの離別は破滅に見えた。」死は旅立ちであり、完全な消滅です。死者はもはや現在の存在ではなく、過去の者になります。

それは死についての正しい理解ですが、完全ではありません。それは死 の一面に過ぎません。死者はこの世を去り、体は腐敗します。しかし、それは第一朗読が私たちに伝えたい真理ではありません。神に従う人がこの世を去って行っても、神の御手で守られ、平和の内にいると朗読は語っています。これこそが、私たちが死ぬときに経験したいことだと思います。 私たちは安からな死を望んでいます。神の御手が私たちと共にあってほしいと願っています。

私の親しい友達が、安らかな死を望んでいたアントニオという名前の弟について話してくれました。弟が長い間一人で暮らしていたと友達は言い ました。寝る前に、彼は聖ヨセフに捧げる「安らかな死のための祈り」を唱えました。それに加えて、彼は祈りと働きに参加する宗教的な共同体に入りました。祈りは叶えられました。アントニオさんは痛みに苛まれず、病院ではなく、平和の内に自分の家で、人生の幕を下ろしました。

兄弟姉妹の皆さん、第一朗読は私たちに、公正であり、神に喜ばれる生き方をするよう求めています。正しい者であるということは神の味方であると言うことです。正しい者は素直に神に従う者です。弱いのに、正しい人は力いっぱい神の掟を守ります。よく祈ります。

兄弟姉妹の皆さん、今日の典礼は死についての真理を思い出させます。

私たちはそれをよく知っています。死ぬとき、魂は別の場所へ行くと私たちは信じています。その場所はまだわかりません。しかし、永遠の命が私たちの夢であり、また神の私たちへの御心でもあると私は確信しています。私たちは神が私たちに永遠の命を与え、御手で守られ、平和の内に生きることを望んでおられると信じていますが、第一朗読は「神に従う人の魂は神の御手で、守られる」と語っています。正しく生きることは私たちへの招きであり、挑戦なのです。

 

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11月のミサ予定

《11月ミサ予定》 主日10:00〜
November Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

 

11月1日(土)諸聖人 Fr. アマド
All Saints’Day Fr.Amado

11月2日(日) 死者の日 Fr. アマド
All Souls’Day Fr.Amado

11月9日(日)ラテラノ教会の献堂 Fr. アマド
Feast of St. John Lateran Basilica Fr.Amado

11月16日(日) 年間第33主日
子どもとともに捧げるミサ
七五三祝福式 (対象:赤ちゃん〜高校生 ) Fr. アマド
33th Ordinary Sunday Children’s mass
7-5-3 Children’s Blessing Ceremony (For Babies, Infants, Children and Teenagers) Fr.Amado

11月23日(日) 王であるキリスト Fr. 中川
Solemnity of Our Lord,Jesus Christ the King Fr. Nakagawa

11月30日(日) 待降節第1主日
待降節黙想会 共同回心式  Fr. 清川 Fr.高橋
1st Sunday of Advent
Advent Recollection: Penitential Rite and Confession Fr. Segawa Fr.Takahashi

2025年10月19日 年間第29主日(C年)のミサ 説教の要約

《 希望の宣教師 》

29th Sunday C
2025.10.19ミサ説教

今日は世界宣教の日です。私たちキリスト者は宣教師であり、全世界に行って、キリストを述べ伝えるために遣わされたという基本的な真理を、私たちの日曜日の典礼は強調しています。

録画されたビデオで、教皇レオ14世は私たち全員に、希望であるキリストを全世界に行って、教えるのを手伝うよう促しています。それから、教皇様は私たちに「キリスト者は絶望と不安に覆われた世界で希望を築く職人になる」という神からの呼びかけを思い起こさせています。彼は、すべての宣教師のために祈り、教会のすべての司牧的養成・キリスト教の教理教育を支援することを認める言葉で、メッセージを終えました。

兄弟姉妹の皆さん、宣教は元々ラテン語で、“mitere”、派遣されるという意味です。宣教師とは遣わされる人です。 イエスはご自身を「遣わされた者」で、御父を「遣わした方」と呼びました。 要するに、宣教師とは御父から遣わされた人です。

聖書を読んでみると、神と個人的に出会った人々は皆、遣わされていることに気づくでしょう。これに例外はありません。 例を挙げると、 モーセ、サムエル、ヨナ、使徒たち、マグダラのマリア、パウロ、そして何人かの婦人たちの名前があります。個人的な出会いによって、人は宣教師となり、文字通りにも、比喩的にも世に出ていきます。

先週の月曜日は祭日でしたが、何人かの子ども会のメンバーはリーダーたちと一緒に巡礼に出かけました。初めに姫路教会へ行き、聖堂で祈ったり、神父の話を聴いたり、楽しい時間を過ごしたりしました。そして、加古川教会にも寄りました。良い日だったと思いました。実は、この巡礼を特別なものにしたのは、鷹取教会から来た同じ信仰を持つ子どもたちと一緒に行われた霊的な行事です。

巡礼、祈り、神についての話、仲間の信者との交わりは、子どもたちが神に出会う機会です。そして、それは個人的な変化につながり、神とのより深い関係を育み、日常生活の中で神の存在を体験することができます。

この2番目のポイントは、最初のポイントと関係があります。 宣教とは、私たちの信仰を他の人に述べ伝えることで、ほとんどの場合、言葉を通して行われます。

兄弟姉妹の皆さん、自分の信仰について他の人に知らせるのが難しいという、受け入れにくい事実を認めましょう。それはなぜでしょうか。私たちは人々に、特に家族、友人、仲間、一緒に働く人々、親戚に、神について述べ伝える勇気がほとんどありません。 話すことが怖いですか。 私たちの話す能力は、聞く能力ととても近い関係があるのをご存知ですか。 特定の声を聞き続けると、それに慣れて、迷わずその指示に従うようになります。 誰の声に耳を傾けているのでしょうか。 多分、私たちはすでに多くの声に気を取られていて、本当に耳を傾けなければならない声が、ほとんど聞こえなくなっているかもしれません。 繰り返しになりますが、もう一度言わせてください、私たちは重要だと思う声に耳を傾けます。 もし私たちが神の言葉を述べ伝えないのなら、きっと、私たちは神の声に耳を傾けていないということでしょう。聖書によりますと、 聞くことが神の第一のおきてであると言っています。

私たちの心を祈りをもって神に聞き、神の御声に注意深く耳を傾けましょう。そうすれば、私たちは確信と熱意をもって神の御言葉を宣言することができるでしょう。

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被昇天の聖母 カトリック 垂水教会