寛大さのための祈り
32nd Sunday B
「与えるものが何もないほど貧しい人はいない。」
ある時、マニラのスラム街で家庭訪問をしていたとき、突然、「神父様、入ってください」という声が聞こえました。周りを見回すと、その声は貧しい家庭の家から聞こえてきたことに気がつきました。 貧しくて小さな男の子が「神父様、昼食を一緒にしませんか」と言いました。家に入ると、家族全員がすでに食卓の周りに座って昼食をとっているところでした。 それに対して、私はこう答えました。「本当にありがとう。でも、家族が待っていて、昼食を用意してくれているんだ。」 しかし、この貧しい家族がともに食事をするように主張したので、 その家族と一緒に食事をすることにしました。 彼らは私に2匹の小さな魚と一杯のご飯を提供しました。 お母さんは「神父様、魚を召し上がってください」と言いました。「子どもたちが魚を食べずにスープだけを食べているのに、どうして私が魚を食べることができるだろう。そして、もし、私がこの魚を食べるとしたら、残り物は何もないだろう。多分、彼らの食べ物はこれだけかも」と自問しました。私が魚を食べているのを見ると彼らが喜ぶだろうと思ったので、しぶしぶ魚を取って食べました。 この経験から、貧しい人は寛大な心を持っていると思いました。 それは私たちがよく忘れてしまう真実だと思います。
今日の聖書朗読のメッセージは明確です。それは 貧しい人は寛大な心を持つことです。社会の疎外された一部の人々は、選ばれた人々の歴史において重要な役割を果たしました。 そして、彼らの行いのいくつかは聖書に書かれています。 運がよく、今日はそのうちの二つを聞く機会があります。
今日の第一朗読は、旧約聖書の中で私の気に入っている物語の一つです。 それはザレファテのやもめのことについて語っています。 彼女は貧しく、親切で謙虚な女性でした 。そして、エリヤという神の預言者を家に迎え入れました。 わずかに残されたものの中から、彼女は彼にパンと水をささげました。 そのため、自分と息子には何も残らなかったでしょう。 しかし、彼女の寛大さのおかげで、神は奇跡を行われ、彼女と息子は飢饉を生き延びました。
戦争あるいは、阪神淡路大震災を経験した皆さんは、預言者の気持ちや、貧しいやもめが預言者のためにパンを作ることに躊躇した気持ちが簡単に理解できます。 貧しさから、彼女は息子と自分のために残されたものを神に信頼し、寛大に分け与えました。 彼女は、神が彼らのために道を開いてくださる可能性に対してオープンでした。
福音書を見てみましょう。兄弟姉妹の皆さん、イエスがあなたのお金を見ていることを知っていますか。 彼はあなたがお金をどのように使うかをご存知ですよ。「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。」と福音書には書かれています。 イエスは言われました。「 はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。この人は、乏しい中から、自分の持っているものをすべて、生活費を全部入れたからである。」 イエスにとって、貧しいやもめほど、寛大な人はいません。 これが寛大になる方法です。
今日の聖書朗読は私たちに寛大であるように呼びかけています。 けちで利己的であることは言い訳できません。なぜなら、二人の貧しいやもめでさえ寛大になることができたからです。 「与えるものが何もないほど貧しい人はいない。」という聖パウロの言葉を思い出しましょう。 神は私たちの寛大さをご覧です。 神はよく私たちの動機・モチベーションという、私たちが何かをする理由を知っておられます。
兄弟姉妹の皆さん、寛大さはすべての人にとって美徳です。 誰もが寛大になることができます。 寛大さは心の行いです。 それは愛の表現です。 それは、他の人々、特に貧しい人々や困っている人々のために、私たちにとって大切なものを手放したいという願望から湧き出ています。 誰もが寛大であれば、誰も食べ物で困る人はいません。 人々が買いだめをすると、多くの人が飢えで死にます。
私が寛大な人を説明するとしたら、彼らは次のようになります。 寛大な人は満足した生活を送っています。 何よりもまず感謝しています。自分が持っているものは何であれ、財産、才能、富、お金は神から受け取った贈り物であることを認識しています。 そして、神や人々に「ありがとう」と言います。 感謝の気持ちで、彼らは自分の持っているものの奴隷にはなりません。 それらを使用して、他の人の生活を向上させます。 第二に、寛大な人は奉仕をします。 生涯、奉仕をすることは、彼らが受け取った贈り物に対して感謝の気持ちを伝える方法です。 彼らは奉仕をすることに喜びを見出します。 一言で言えば、寛大な人は感謝し、良い仕事をし、喜びに満ちています。 私たちは皆、そのように生活がしたいと思います。そう思いませんか?
あなたの寛大さをどのように示しますか?
今日、この祈りを唱えましょう。 主よ、私に寛大であることを教えてください。あなたに値するようにあなたに仕えることを教えてください。見返りを求めずに与えることを教えてください。アーメン。