終わりの日
33rd Sunday Year B
私たちはどのような結末・終わりを見たいですか? 私たちは皆、ハッピーエンドを望んでいます。 映画や物語の終わりに、「そして、彼らはその後ずっと幸せに暮らしています。」と言う言葉を読みたいのです。しかし、それは子ども向けです。現実の生活では必ずしもそのように起こるとは限りません。時には予期せぬ形で結末が訪れることもあります。良い結末・ハッピーエンドとはどのようなものでしょうか?
日本の映画「パーフェクト・デイズ」は、満足のいく深遠な結末を与えてくれます。 主人公の平山は、東京・渋谷区のトイレ清掃員です。最後のシーンは、良いハッピーエンドがどのようなものかを私たちに教えてくれます。それは、平山が初めて出会った男性にお酒を差し出し、楽しそうに話しているシーンでした。 翌朝、平山は早起きして仕事の支度をし、コーヒーを飲み、小さなバンを運転して仕事に向かう車の中で、お気に入りの音楽「Good Feeling」を聴きます。その顔は力強い感情が表れていました。彼が市のトイレを掃除しに行くと、太陽が明るく輝いています。そして、照明が消えます。
その映画は、主人公が仕事を始めるところでおわるが、今日の聖書朗読では結末について語られています。聖書朗読のテーマは、私たちが典礼歴の終わりに近づいているという理由で、非常に適切です。 福音は終わりの日について始まります。 暴力と悲劇があるため、良いニュースとは思えません。 福音書によると、終わりの日は太陽が暗くなり、月は光を与えません。星は空から落ち、天体は揺り動かされます。人の子は、大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来られます。その後、彼は天使たちを遣わし、彼の選ばれた人たちを呼び集めます。その言葉を聞くと、本当に恐ろしいことです。
福音書が伝える終りの日は、「パーフェクト・デイ」に見えないかもしれません。そこには暗闇、暴力、分裂、そして死があるからです。 一方、映画「パーフェクト・デイズ」では、平山は自分がしていることを楽しんでいます。彼は楽しく趣味をすることができます。福音書の中でイエスは、この世のすべては一時的なものだと教えています。言い換えれば、終わりは現実です。私は葬儀の時にいつもこの言葉を使います。「おそらく、人生で最も受け入れがたい現実は、私たちにとって貴重なものすべてが何らかの形で、最終的には奪われるという不変の事実です。」 私たちはこれを好まないかもしれませんが、それを変えるために私たちにできることは何もありません。 私たちはただ、終わりがあり、それは必ず来るという真実を受け入れるしかありません。準備はできていますか? そのために、私たちは何をしていますか? 少なくとも自分自身にとって答える必要があります。 今こそ、この世での生活を振り返り、沈黙のうちに考える時です。
福音書の中でイエスは言われました 、「気を付けて、目を覚ましていなさい。」と。 彼は、目を覚ますこと、信仰を強く保つことの重要性を強調しています。それは神だけが終わりの正確な時間を知っておられるからです。 注意深さ、警戒心とは、私たちがどのように生活し、自分の行動に気づいているかを意味します。 すべてが終わることを知っている人の行動は、善を行い、優しさを示し、他人、特に弱者、老人を親切にします。 その人は確かに他人を傷つけることを避けます。 そうすれば、その人の行動は終わりの日への良い準備をすることになります。 そして、終わりの時が来ると、その 人は 行く準備ができていることがわかります。
兄弟姉妹の皆さん、今日、私たちはこの感謝の祭儀で、七、五、三を祝います。子どもたちの健康や成長のために祈ります。子どもたちは私たちの後ろ姿を見ています。そして、私たちから何を見ても、それが正しいか間違っているかを問うことはないということを心に留めましょう。 彼らは単に私たち大人の姿を見て倣い、従っているだけです。 ですから、彼らに手本を示しましょう。