マリアを通して
2nd Sunday C
昨年の2月半ばごろ、私の友達は、神、自分の子どもたち、そして親しい友人の前で結婚の誓いを新たにして、銀婚式を祝いました。 私も感謝の祭儀の主要な司祭としてそこにいました。 私の説教では、結婚生活は古い葡萄酒に例えられると言いました。 ワインは熟成するほど美味しくなります。 時が経つにつれ、夫婦はお互いをよく知り、多くの困難を一緒に乗り越え、許し合うようになります。彼らの 愛はますます深くなっていくでしょう。 夫と妻の結婚生活が長く続くのは、彼らの結婚が天国で行われたからではありません。 結婚生活が長く続くのは、二人がそれを信じ、それを守り、そのために戦い、働くという選択をしたからです。 相手を愛しにくい時もありますが、それは彼らが自分のパートナーを愛することを選ばなければならない時です。 結婚生活が厳しいという現実にもかかわらず、友人たちが一緒にいることにしたので、私は喜びました。
疑いなく、ここにいる結婚している皆さんはきっと私の言葉に同意するでしょう。 愛徳カルメル会のシスター方と愛徳姉妹会のシスター方は、ある意味で両方とも結婚しています。彼女らの共同体は、彼女らのパートナーです。シスター方にとって、共同生活は十字架であり、復活でもあると思います。
今日の朗読は、夫婦愛のしるしを通して、神の選ばれた民への無条件の愛というテーマを強調しています。 聖書では、夫と妻の間の愛は、私たちに対する神の無条件の愛を説明するためによく使われます。
第一朗読は次のように述べています, “若者が乙女をめとるようにあなたを再建される方があたなをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる。” 神はご自分の民に、その尽きることのない愛を保証していました。彼らの不忠実にもかかわらず、神は彼らを自分たちの国に戻すことにされました。
第一朗読で聞いた結婚のテーマは、福音書でも続いています。 ガリラヤのカナで婚礼がありました。そして、マリアとイエス、そして彼の弟子たちが出席しました。昔は ワインを提供する責任は新郎にありました。 旧約聖書では、神が花婿で、選ばれた民は花嫁でした。 また、旧約聖書では、ワインは贈り物と祝福と考えられていました。 そして、私たちが知っているように、すべてのものは神からいただいています。 ワインはお祝いや幸せにもつながりがあります。 カナの結婚式で、ぶどう酒がなくなり、マリアはそれに気づきました。 彼女は息子であるイエスのところに急いで行って、言いました。”葡萄酒がなくなりました。” 母の言葉にこたえて、イエスは水をワインに変えられました。 ガリラヤのカナで、イエスは最初の奇跡を行われました。この奇跡の目的は皆がイエスのことを信じるためでした。
兄弟姉妹の皆さん、 カナのカップルが経験したように, 私たちの生活でも、常に、もちろん文字通りではなく、霊的にもワインが足りなくなります。 寂しくて悲しいとき、私たちは何をしますか? 困難を経験し、人生が危機に陥いているとき、私たちはどのように直面するのでしょうか? マリアはぶどう酒が足りなくなったことに気づき、息子のイエスにそのことを話しました。 福音はマリアが私たちの痛みを見てくださることを私たちに思い出させています。 母親として、マリアは私たちが人生で経験していることを理解し、私たちの痛みと問題を、最高のワインだけを与える彼女の息子、イエスに伝えます。
兄弟姉妹の皆さん、マリアは私たちのために祈ります。そして、私たちと共にも祈ります。