2025年6月15日 三位一体の主日(C年)のミサ 説教の要約

《 父である神 》
三位一体の主日C

先週の日曜日に、聖霊について説教しました。来週、キリストの聖体を荘厳に記念します。今日は三位一体の祭日です。そして、父の日でもあります。この機会を用いて、父についてお話します。私たちの神は私たちの御父です。

数年前、ある父と息子が一緒にお風呂に入る漫画を見ましたが、きっと、彼らは温泉に入っていたのでしょう。 その漫画は、父親が息子の背中をこすり、息子が大笑いしているところでした。 これは日本では普通ですが、私の国ではそうではありません。この漫画は私にとって面白くて良いものでした。父と息子の関係を伝えています。

それは私にライオンキングという映画とミュージカルを思い出させました。 皆さんの中で、すでに映画やミュージカルを観た方がいるかもしれません。 映画には心温まるシーンがあり、シンバにとって父親ムファサがどのようなものかを知ることができます。 ムファサは息子と話したり、一緒に遊んだりして時間を過ごしました。ある日、 ムファサはシンバを散歩に連れて行き、息子に世界を見せました。 歩きながら、ムファサは辛抱強く、生命の輪について説明しました。生命の輪とは、人生では、人は産み、人は去っていきます。 子どもは成長し、目上の人から責任を引き受け、最後に死ぬということです。 それが人生の真実です。言い換えれば、責任ある父親は子どもと一緒に歩き、言葉と行いで責任、コミットメント、権威・力、関係という言葉の意味を説明し、バトンタッチします。大事なのはと共に歩むということです。

旧約聖書では、いくつかの書は神を摂理者として、子どもを導き、指導し、子どもたちが成長し成熟するために必要なものを彼らに与える神について語っています。御父として、神は 導き手であり、保護者です。

出エジプト記には、モーセの召命が書かれています。あなたの名前は何ですかというモーセの質問に応じて、「私はあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」 と神は言われました。

私はあなたと共に歩んで、 あなたと一緒に旅をしてきた神です。 あなたから立ち去りません。 あなたに忠実です。 私の民ですから、それで、あなたのことをよく知っています。あなたがたの先祖と約束をしました。 その名前の意味は、とても個性的な神だということです。要するに、神はご自分の子どもたちの近くにいます。

もちろん、私たちが神を父として理解することも、イエスから学んでいます。 アッバ、つまり父という意味で、呼びかけたように、イエスは弟子たちに、神を父と呼ぶように教えました。 イエスは何回も父である神の豊かな祝福と寛大さをたたえ、感謝しました。信頼と自信を持って弟子たちに御父に自分たちの願いをするように勧めました。

兄弟姉妹の皆さん、神は私たちの父であると今日の祭日は私たちに話しています。人間の父との経験のために、私たちの中には神を父と呼ぶのが難しい人もいるかもしれません。 若者が父親とは何かについてちょっと歪んだ考えを持って育つことを私は知っています。 また、現代社会生活のせいで、多くの父親が家族と離れて、職場で多くの時間を過ごしています。 さらに、家族の関係に対する戦いがいつもあります。 父親の権威は減少しているように見えますが、仲間の権威は増加しています。それは本当に残念です。

兄弟姉妹の皆さん、人間の父との経験が何であれ、神の子どもとしての私たちの尊厳は決してかわりません。神は私たちを愛されて、その愛の代わりはありません。そして、私たちは皆、キリストによって神の子どもであるので、それは私たち全員が兄弟姉妹であることを意味します。 キリストによって、私たちは皆、アッバ、父よ、と言うことができます。

ミサの中で、私たちの人間の父のために、祈りましょう。彼らは私たちの与え主であり、保護者です。 ですから、彼らに感謝し、愛しましょう。

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