《 一致の霊 》
聖霊降臨の主日 C
今日、聖霊降臨祭を荘厳に祝います。それがどのように起こったかを聖ルカは説明しています。「弟子たちは皆、マリアと一緒に部屋の中にいました。激しい風が吹いて来ました。そして、炎のような舌が分かれ分かれにあらわれ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」と。
聖霊降臨の主日は、私たちの生活に聖霊の重要性を思い出させてくれます。 私たちの生活や教区共同体における聖霊の役割は何でしょうか? イエスは聖霊について長く話され、そして、それが私たちの聖霊についての知職の源です。
御父の元に戻られる前に、祈りによって、イエスは心の願いを伝えました。「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。」要するに、イエスが約束された聖霊が私たちの一致の源です。
混乱し、分断された社会に生き、一致に至るのは何と難しいことでしょう。これを探し求め、なかなか満足しません。共同体を築いていますが、家族、教会、学校、職場について不平をよく言っています。 それはなぜでしょうか?
壊滅的な津波の後、日本国民への手紙の中で、前天皇は次のように述べています, 「人々が手をあわせて、思いやりを持って、互いに親切にし合い、この困難な時を乗り越えてくれることを心から願っています」と、人々の絆を望みました。どのようにして一致を得るのか?
聖書朗読を見てみましょう。聖霊降臨の時、神は奇跡をなさいました。お互いを理解できるようにすることで、色々な場所から人々を集められました。ここでは、 分裂ではなく交わりを持つという神のみ旨がはっきりとわかります。 聖霊降臨という出来事は、聖霊がさまざまな人々やコミュニティを通して、働くことを決して止めないことを私たちに思い出させます。 聖霊は、使徒たちのように、一般の人々を用いて、私たちに神の愛のメッセージを伝えることができます。 聖霊は、単純なジェスチャー、つまり、親切な言葉、献身的な奉仕、心のこもったタッチによって、私たちの中でも働くことができます。 私たちの行いによって、人々は神の愛のメッセージを聴くことが出来ます。私たち がしなければならないことは、ただ、聖霊に心を開くことなのです。
コリントの信徒への手紙によると、異なっていても、私たちは同じ洗礼を受けます。それによって、聖霊 を受けました。聖霊は私たちに与えられた多くの賜物を分かち合い、弱い人々を強め、困っている人々を助けるように呼びかけています。 賜物を分かち合い通して、一致が築かれるということです。
使徒たちにあらわれ、復活されたイエスは言われました。「あなたがたに平和があるように。」 平和はイエスの贈り物です。そして、 彼らに息を吹きかけて言われました。「聖霊を受けなさい」。 そう言ってから、彼らを派遣されました。それは赦しと平和について説く宣教師になることです。
兄弟姉妹の皆さん、赦しなしでは、一致はあり得ないことを理解しましょう。平和は 一致の実りです。和解した人々は、一致の中で生きています。彼らは平和という雰囲気を感じています。聖霊に満たされた人々は赦しを実践し、一致します。彼らには平和があります。
兄弟姉妹の皆さん、聖霊降臨はただ、歴史の劇的な出来事だけでなく、戦争と憎しみによって混乱された世界に一致をもたらすことができるように、私たちが遣わされ、賜物に満たされるということでもあります。
聖霊に心を開き、賜物を受け取るためだけでなく、互いに心を開いて、私たちが一致を経験できるようにしましょう。