《 分裂 》
20th Sunday Year C
2025.8.17ミサ説教
この感謝の祭儀で、私たちは正式に平和月間が終わります。 私たちが平和について多くのことを学んだだけでなく、自分たちの小さな方法でも、平和のために働くことを強く励まされていると希望しています。皆が努力すれば、平和は可能になります。
本日の聖書朗読は私たちの閉幕式に適切なので、御摂理の神に感謝します。ルカ福音書では、私たちがイエスの口から聞くことを最も期待していない言葉、つまり分裂について話されました。「あなた方は、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」と、このようにご自分の大事な話をはっきり話されました。自分たちに最も近い人々、つまり、私たちの家族の間で分裂が行われるでしょう。イエスの言葉は真実です。紛争は私たちの家族、友人、共同体の間で起こります。不一致も起こります。その結果、平和は失われます。
イエスは何を言いたいのでしょうか ? 本日の福音をよく読んでみましょう。 分裂や対立の原因は、キリストを信じて従うことです。 ここでの主な話は使徒職です。イエスに従うという私たちの呼びかけが現代的な信念やライフスタイルに直面するときに 、対立と分裂は必ず起こります。預言者エレミヤの体験は良い例だと思います。その時の権力者たちは預言者の言葉を聞いて、彼の行いを見て、耐えられませんでした。 その結果、彼らは預言者に対して冤罪を告発しました。 フェイクニュース、噂、不正は不信感を引き起こし、人間関係を破壊します。
分裂や対立やぶつかり合いなどの原因は罪だと第二朗読は語っています。罪に陥らないように、 聖なる著者は、じっとイエスを見つめながら、忍耐力を持って、走るように私たちに勧めています。 つまり、私たちは天の故郷である最終点に達するまで、善を行い、信仰を生きるために精一杯努力するということです。 悪を避けるだけでは十分ではなく、善を育むことも大事なことです。 励ましとして、聖書朗読は私たちが証人の群れに囲まれていると述べています。かくして、 私たちは目を開けて、周りに多くの善人たちがいることに気付く必要があります。 それは真実です。 私たちの周りには、イエスの静かな働き手がたくさんいます。
兄弟姉妹の皆さん、残念なことに、私たちはますます罪の感覚を失っていきます。 それは危険です。 罪は分裂を生み出し、そのため、平和が失われます。 そして、罪から立ち直り、平和を取り戻すためには、和解と赦しを通して神の元に立ち返る必要があります。 和解と赦しなしでは、平和、特に心の中の平和を取り戻すことは不可能になります。
数年前、私は宗教者平和協会主催の平和会議に参加しました。 広島で開催されました。 参加者は平和公園と博物館を訪れる機会がありました。 そのとき出会ったシエラレオネ出身の元反政府勢力の方の分かち合いをいつも思い出します。
赦しは私たち皆にとって簡単なことではありません。それはイシュマエル・ベアという元少年兵にも当てはまります。 強い復讐心と憤りを抱く人でした。 彼の人生は傷と暴力でいっぱいでした。 彼は戦争で荒廃した国であるシエラレオネで生まれ育ちました。 彼は子供の頃、家族全員が殺されるのを見ました。 これが彼が政府軍に入隊した理由でした。 少年兵だった彼には、同じ年の子供たちと遊んだり、学校に通ったりするなど、楽しい子供時代の記憶はちっともありませんでした。 何人を殺したかと尋ねられたとき、「数え切れないほど多い」と彼は答えました。 仲間の兵士を通して、彼はマリファナを吸うことと禁止薬物をとることを学びました。 自分の依存症と暴力的な態度を他人から習ったと彼はよく言いました。
誰もが聖霊降臨という回心の瞬間を持っています。 彼の聖霊降臨が起こったのは、彼がユニセフとNGOによって暴力的な状況から救出されたときでした。 しかし、彼は、暴力から優しさへ、復讐から許しへ、恨みから感謝へと回心するのが難しいことに気づきました。 回心は、彼の世話をしてくれた愛情深い看護師と司祭からの思いやりを経験したときに起こりました。 真の回心は、思いやりを感じたときに起こります。 同じ様に、私たちが心から人を許し、また許しを求めるときに、平和がやって来ます。
神の平和があなた方の上にありますように !