2026年1月11日 主の洗礼(A年)のミサ 説教の要約

《 洗 礼 や 宣 教 》

Baptism of Jesus 2025
2026.1.11ミサ説教

コミュニティがイエスの洗礼を記念し祝うために集まる時、私たちは皆、自分の洗礼について振り返る機会を与えられます。この洗礼によって、私たちはキリストと教会に属し、教会と世界におけるミッションを授かります。

今日、洗礼の秘跡について祈り、黙想し、理解するのに、私たちは第二朗読を用いましょう。使徒たちの宣教によりますと、「ヨハネが洗礼をのべ伝えた後、神は聖霊と力によってこの方、つまり、ナザレのイエスを油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべて癒されたのです。」ということです。ここでは、聖なる著者は、洗礼後にイエスが御父の愛される子としてのご自分のアイデンティティを悟り、宣教に出たとはっきり言っています。 洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは善行を始められました。それが彼のミッションです。洗礼の後は、ミッションがすぐに始まりました。

兄弟姉妹の皆さん、洗礼は、単に神の家族の一員になり、カトリック信者になるだけではありません。ミッションに派遣され、自分が属する教会や世界に対しての責任を持つことでもあります。自分が カトリックであり、垂水カトリック教会の信徒であるというアイデンティティを忘れていないと思います。 秘跡が必要なとき、それとも、礼拝の場所が必要な時、どこに行くべきかを知っています。残念ながら、私たちは自分たちの責任、すなわち洗礼の時に神から託された使命、ミッションをよく忘れてしまいます。

今の教皇様を、心から尊敬しています。すべての司祭にこのように書きました。「すべての司祭は、兄弟姉妹と同じように、自分が主の弟子であることを常に忘れてはなりません。」 司祭たちが、「シノドス的な教会」つまり、互いに耳を傾け、共に神の御心を識別し、すべての洗礼を受けたカトリック信者が教会の使命を果たすために、何かがあることを認める教会を作ることに力を入れてもらいたいと教皇様は主張しました。 もう一度最後の文書を言います。すべての洗礼を受けたカトリック信者が教会の使命を果たすために、何かがあることを認めます。カトリック信者を宣教に派遣するのは主任司祭ではなく、あなたの洗礼です。

去年の12月30日に、大学生と高校生が信徒会館に集まりしました。18人の学生さんが出席しました。私と何人かの教会のリーダたちは彼らを温かく歓迎しました。 彼らが教会にいるのを見ると本当に喜んでいます。なぜなら、学校がある日は、彼らは教会に来ることができないからです。 歓迎の挨拶で、私はこう言いました。「ここは皆さんの教会であり、皆さんのコミュニティです。皆さんはいつでもここで歓迎されます。教会はいつも皆さんを待っているということを忘れないでください。この教会には皆さんの居場所があります。教会は皆さんを必要としています。」 と。

兄弟姉妹の皆さん、既に洗礼を受けました。もう神の子供になり、教会のメンバーになりました。けれども、 交わり、参加、そして宣教は、カトリック信者の心の中に、奉仕し、自分の時間や才能、持ち物を捧げ、教会活動に参加しようとする気がなければ達成できません。 シノドス的な教会では 、なすべきことはまだたくさんあります。 私たちは、地上の道、貧困と悲惨という暗い路地を通り、キリストの光を運ぶ必要があります。

天の父よ、私たちに託されたミッションを成し遂げる勇気と力をお与えください。

アーメン。

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