3月14日(土)までの週日・主日ミサを中止いたしますので、ご自宅でお祈り下さい。
第一朗読
創世記(創世記12・1-4a)
[その日、]主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
第二朗読
使徒パウロのテモテへの手紙(二テモテ1・8b-10)
[愛する者よ、]神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。
福音書
マタイによる福音(マタイ17・1-9)
[そのとき、]イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
福音のメッセージ
「父と子の愛の交わりの輝き」
カトリック垂水教会担当司祭:林 和則
毎年、四旬節第二主日の福音はマタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書がともに書き記している「主の変容」と呼ばれている出来事が朗読されます。A年ではマタイが用いられています。ちなみにB年ではマルコ、C年ではルカです。
イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブだけを連れて、高い山に登った時、弟子たちの目の前でイエスの顔が太陽のように輝き、服は光のように白くなり、そこにモーセとエリヤが現われて共に語り合われたという、まことに輝かしい、栄光に満ちたイエスの姿がそこにはあります。しかしながら、このすぐ前の16章でイエスは弟子たちに最初の受難予告をしているのです。栄光どころではなく、権力者たちから苦しめられて殺されることが語られています。メシヤをこの世的な王と考えていた弟子たちはイエスがユダヤの王になるどころか、祭司長たちによって捕らえられ、殺されるということばに驚き、激しく動揺します。ペトロにいたっては、イエスを脇へお連れしていさめ始めたとまで書かれています。動揺する弟子たちにはイエスの逮捕と処刑だけが耳に残って「三日目に復活する」ということばはまったく頭に入っていません。また復活を理解することもできなかったのでしょう。彼らにとってまだ、死は全ての終わりであったからです。
そんな弟子たちの動揺を少しでも抑え、力づけるためにイエスは復活の栄光の姿をお見せになったのが「主の変容」であるという解釈が一般的です。また当時は旧約聖書は「律法の書」「預言の書」と呼ばれていて、モーセは「律法の書」を、エリヤは「預言の書」をそれぞれ象徴し、そこにイエスに象徴される「新約の書」が加わることによって、神のことばが完成したことが表されているとも考えられています。いずれにしても目のくらむような神々しい、まさに勝利の王としてのイエスの姿がそこにはあります。
けれども変容の場面を、イエスの逮捕の前のゲッセマネの園と類似している、共鳴し合っていると考える解釈があります。栄光に満ちた変容と、闇と苦しみに満ちたゲッセマネでは正反対ではないか、どこが似ているんだと思われる方が多いでしょう。この解釈のカギはルカの並行箇所にあります。マタイとマルコではイエスがモーセとエリヤと「語り合っていた」としか書かれていませんが、ルカは「エルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた(9:31)」と書かれています。カギはこの「最期」にあります。この言葉はギリシャ語原文では「エクソドス」です。それはギリシャ語訳の旧約聖書の出エジプト記のギリシャ語書名の「エクソドス」から取られています。「エクソドス」の本来の意味は「旅立ち」「国を出る」です。そのためにエジプトからの脱出、旅立ちとして、この言葉が選ばれたのでしょう。聖書の神学用語で言い換えれば、それは「過越」です。神がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態からふるさとの地での自由へと過ぎ越してくださったことをいいます。イエスとモーセとエリヤはイエスのエルサレムでの受難、つまり新たな「エクソドス」、言い換えれば新たな過越であるイエスの死と復活について語り合っていたといえます。
モーセはそのかつての過越を導いた人物です。エリヤは紀元前9世紀、北イスラエル王国のアハブ王の時代に活躍した預言者です。アハブ王は王妃イゼベルの国の神、バールの信仰を北イスラエルに広くもたらしました。エリヤはそれを激しく非難し、バールの預言者たちと祈りでもって戦い、打ち負かしました。そのためイゼベルはエリヤを殺害する命令を下し、エリヤは絶えず命の危険にさらされて逃亡の日々を送り、疲れ果てて「主よ、もう十分です。私の命を取ってください(列王記上19章4節)」と神に死を願いさえもします。エリヤもまた「苦しむ神の僕」でした。このふたりがイエスとイエスの過ぎ越しについて語り合ったのは、これから受難の旅、新たな過越に向かおうとされるイエスを励まし、勇気を与えるためだったと考えられないでしょうか。
ゲッセマネの園でイエスは血の汗を流すほどまでに苦しみ悶えられます(ルカ22:44)。であれば、イエスは弟子たちに平然として受難予告をされたのではなく、自らもその恐怖に苦しんでいたはずです。ルカは「祈るために山に登られた(9:28)」と書いています。その祈りとはゲッセマネの園の時のように来たるべき受難を思っての血の汗を流すような祈りではなかったでしょうか。ペトロと弟子たちがひどく眠くなってしまうのも、ゲッセマネの時と同じです。それを見た父なる神が我が子を励ますために、よき理解者、相談者としてモーセとエリヤを送ったのだと考えられるのです。
こうなると「主の変容」は弟子たちのためというよりも、父なる神が子であるイエスを力づけるためのものであったといえます。だからこそ神は最後に「これはわたしの子」と言われたのです。そこには「おまえは私の子だ。いつも、おまえのそばにいる。だから、恐れるな。心配するな」というように、父である神の、子であるイエスに対する深い愛がこめられています。変容の輝きはその父の愛を受けたイエスの喜びが満ちあふれた輝きであったと考えることができるのです。
私たちも苦しみもだえ、闇の中にいるような思いの時も、父である神がともにいてくださることを忘れないようにしましょう。