2025年7月6日 年間第14主日(C年)のミサ 説教の要約

《 贈り物としての平和 》

平和月間 25
2025.7.6ミサ説教

平和があなたがたと共にありますように ! 私たちは皆、平和を探し求めていますが、平和を見つけるのは難しいようです。 私たちが住んでいる世界は、平和という贈り物を受け取ることを拒否しているようです。 多分、それが日本のカトリック教会が 7月 と 8月 を平和に捧げる理由かもしれません。私たちの小教区では、このミサで、平和月間が始まります。かくして、慈しみ深い主に平和を与えてくださるように願いましょう。

家で夕食をとりながら、姉は私に言いました : 「夕食後は、ただ静かな夜を過ごしたいだけです。多分、これはあなたにとって面白くないかもしれません!」と。姉と義理の兄の結婚生活は長いし、とても幸せです。 彼らは家族で夕食をとり、自分たちの寝室で、電話をかけず、一緒に良い映画を見るという静かな夜を過ごすことにしました。

皆さんはほとんど同じルーティンを持っていると思います。 忙しい一日の終わりに、私たちが、人々から離れ、静かで、安らかで、楽ができる家にいて、そして風呂に入ることを望んでいます。 確かに、大切な人々に囲まれることを好むでしょう。

私たちは皆、平和の内に生きたいです。平和とは、心の平和で、問題も、恐れも、争いもなく、ハーモニーを私たちは理解しています。しかし、 静かな生活だからといって、それは平和だとは限らないです。 実は、それは無関心かもしれません。 わかっているのに、参加しようとしません。それでは、何が私たちに平和をもたらすのでしょうか?

平和は神の恵み、贈り物という考えを本日の聖書朗読は強調しています。第一朗読は、神が選ばれた民に平和を川のように広げて、そして、民は喜んでいるという神の約束を思い出させるものです。「見よ、私は彼女に向けよう、平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。あなたたちは乳房に養われ、抱いて運ばれ、膝の上であやされる。母がその子を慰めるように、私はあなたたちを慰める。」と主はこう言われました。

兄弟姉妹の皆さん、平和は神から来る恵みで、贈り物です。それは私たちが感謝と不思議さを持って受け取ることが出来ることです。この愛の贈り物を受け取るためには、両手を広げて感謝の心でそれを受け入れなければなりません。平和は私たちの努力だけで達成できるものではありません。そこに神の深い思いやりと寛容が私たちに働きかけているからこそ、平和は成り立つものなのです。

ヨハネの福音書では、イエスはあの裏切られた夜、最後の晩餐の時、弟子たちに長い別れの挨拶をしました。 使徒たちを安心させ、慰め、落ち着かせようとして言われました。 「私は去って行きますが、私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを世が与えるように与えるのではない。」 とだが、平和は、他の贈り物と同じように、責任や仕事があります。それはすべての能力を要求します。本日の福音では、イエスは弟子たちに、行くところに平和をもたらすように命令されました。 「どこかの家に入ったら、まず、この家に平和があるように。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。」と。弟子は平和の宣教師です。平和は弟子の挨拶で、贈り物です。神は、私たちを必要として、私たちを通して、他の人々に手を差し伸べることができるのです。理由は福音書に書かれています。 「収穫は多いが、働き手は少ない。」 と。

兄弟姉妹の皆さん、パウロのように自分をへりくだり、祈りで、主に平和を願うなら、私たちの世界は平和になると考えるのをやめましょう。 平和は人の努力によってもたらされます。イエスは弟子たちを平和の宣教師として、派遣されました。私たちは、 イエスの呼びかけに応じるよう招かれています。そして、力を通して、私たちの中に平和が現実のものとなります。 今では聖人となったマザーテレサは、「笑顔は平和のはじまりです。」と言いました。

兄弟姉妹の皆さん、まず、心の中の恨み、憎しみ、怒り、嫉妬、プライドを手放しましょう。 和解し、許し、私たちの後に来る人々のためにより良い場所を築き始めましょう。

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