2025年10月19日 年間第29主日(C年)のミサ 説教の要約

《 希望の宣教師 》

29th Sunday C
2025.10.19ミサ説教

今日は世界宣教の日です。私たちキリスト者は宣教師であり、全世界に行って、キリストを述べ伝えるために遣わされたという基本的な真理を、私たちの日曜日の典礼は強調しています。

録画されたビデオで、教皇レオ14世は私たち全員に、希望であるキリストを全世界に行って、教えるのを手伝うよう促しています。それから、教皇様は私たちに「キリスト者は絶望と不安に覆われた世界で希望を築く職人になる」という神からの呼びかけを思い起こさせています。彼は、すべての宣教師のために祈り、教会のすべての司牧的養成・キリスト教の教理教育を支援することを認める言葉で、メッセージを終えました。

兄弟姉妹の皆さん、宣教は元々ラテン語で、“mitere”、派遣されるという意味です。宣教師とは遣わされる人です。 イエスはご自身を「遣わされた者」で、御父を「遣わした方」と呼びました。 要するに、宣教師とは御父から遣わされた人です。

聖書を読んでみると、神と個人的に出会った人々は皆、遣わされていることに気づくでしょう。これに例外はありません。 例を挙げると、 モーセ、サムエル、ヨナ、使徒たち、マグダラのマリア、パウロ、そして何人かの婦人たちの名前があります。個人的な出会いによって、人は宣教師となり、文字通りにも、比喩的にも世に出ていきます。

先週の月曜日は祭日でしたが、何人かの子ども会のメンバーはリーダーたちと一緒に巡礼に出かけました。初めに姫路教会へ行き、聖堂で祈ったり、神父の話を聴いたり、楽しい時間を過ごしたりしました。そして、加古川教会にも寄りました。良い日だったと思いました。実は、この巡礼を特別なものにしたのは、鷹取教会から来た同じ信仰を持つ子どもたちと一緒に行われた霊的な行事です。

巡礼、祈り、神についての話、仲間の信者との交わりは、子どもたちが神に出会う機会です。そして、それは個人的な変化につながり、神とのより深い関係を育み、日常生活の中で神の存在を体験することができます。

この2番目のポイントは、最初のポイントと関係があります。 宣教とは、私たちの信仰を他の人に述べ伝えることで、ほとんどの場合、言葉を通して行われます。

兄弟姉妹の皆さん、自分の信仰について他の人に知らせるのが難しいという、受け入れにくい事実を認めましょう。それはなぜでしょうか。私たちは人々に、特に家族、友人、仲間、一緒に働く人々、親戚に、神について述べ伝える勇気がほとんどありません。 話すことが怖いですか。 私たちの話す能力は、聞く能力ととても近い関係があるのをご存知ですか。 特定の声を聞き続けると、それに慣れて、迷わずその指示に従うようになります。 誰の声に耳を傾けているのでしょうか。 多分、私たちはすでに多くの声に気を取られていて、本当に耳を傾けなければならない声が、ほとんど聞こえなくなっているかもしれません。 繰り返しになりますが、もう一度言わせてください、私たちは重要だと思う声に耳を傾けます。 もし私たちが神の言葉を述べ伝えないのなら、きっと、私たちは神の声に耳を傾けていないということでしょう。聖書によりますと、 聞くことが神の第一のおきてであると言っています。

私たちの心を祈りをもって神に聞き、神の御声に注意深く耳を傾けましょう。そうすれば、私たちは確信と熱意をもって神の御言葉を宣言することができるでしょう。

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