《 最後まで、忍耐をもって 》
33rd Sunday C
2025.11.16ミサ説教
ある日のことです。「大変ですね」と一人の信徒が言いました。「何のことですか」と私は答え尋ねました。「昨日の夜ニュースによると、スーパー台風があなたの国に上陸して、大雨と猛烈な風をもたらしました。高い波が多くの家屋を飲み込み、橋が崩落し、激しい洪水が家屋や建物の中に入り込んだということです。自然災害がつぎからつぎへと起こりました。」と信徒は言いました。その日のテレビで、信徒が話題にしていたニュースが何度も繰り返し放送されました。信徒の愛情深い言葉は、私にとって慰めになりました。フィリッピンで起こった多くの自然災害の被害者の人々が、本当にかわいそうです。
実際に、そのようなニュースは非常に恐ろしいです。皆さんは世界の終わりを恐れていますか。あるいは、この訊き方にしましょうか。あなたがたは、世界が崩落していると感じていますか。そして、神はどこにおられるのだろうと考えていますか。人々が神殿の素晴らしさや美しさを見て話していた時、イエスは神殿の完全な破壊について話しています。話の途中で、イエスは、戦争、迫害、暴力、そして、親しい関係の中で分裂や対立について話し始めています。これは本当に怖いです。このような状況下で、どうすれば普通の生活を送れるでしょうか。争いのために、自分の親しい人々と離ればなれになりたい人はいるでしょうか。これは本当にひどい
ことです。
災害や分裂は、私たちの命を脅かす可能性があります。それらは日常生活や習慣を乱し、私たちの土台を揺るがし、自分の限界や弱さを意識させます。また、心の安らぎや穏やかさを取り除いてしまうこともあります。
このような時、信仰を捨ててしまう人々がいます。残念なことです。信仰を守り生きるための戦いは、確かなことであり、大きな挑戦です。
兄弟姉妹の皆さん、人生の課題が重すぎると感じる時、命が脅かされているとき、諦めて課題に降伏したくなる時、このような時こそイエスの言葉を思い出すべきです。「あなた方の髪の毛の一本も決してなくならない 。忍耐によって、あなた方は命を勝ち取りなさい。」と。忍耐心によって 、永遠の命・救いを得るのです。
ある日曜日の朝、私は吹田教会へ向かう途中、ちょうど教会から出てき たばかりの年配の女性に会いました。立ち止まって挨拶をしました。明らかに、彼女は歩行に問題を抱えていました。足がむくんでいたのです。非 常に悪いです。彼女は私に、高齢と悪い足のせいで、教会から離れること になるかもしれないと話してくれました。でも、彼女はそうなることを望 んでいませんでした。だから、困難なときにさえ、毎週日曜日に、教会へ 行こうと精一杯努力していたのです。私は彼女の信仰に感心しています。
彼女の存在は、彼女の信仰と忍耐の証です。このような困難な時こそ、私 たちは世界や周りの人々に自分たちの信仰を示すことが出来ます。このような苦しい時、辛い時であっても、私たちが善行をし続けることを希望します。