《 そ の 名 》
th Sunday Advent A
2025.12.21ミサ説教
今日、私たちは待降節の最終日曜日を迎えています。すべての待降節の蝋燭は、既に灯されています。典礼はクリスマスが近づいてきて、神はすぐそばにおられると言っています。
マタイ福音書の中には「主の天使が夢に現れて言った。ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」と書いてあります。
その前に、主の御使いが、ザカリアという洗礼者のヨハネの父親に言いました「恐れることはない」と。昨日の福音書の中で、天使ガブリエルはおとめマリアに、「おめでとう、恵まれた方。神があなたと共におられる。恐れることはない。」と挨拶しました。クリスマスの前夜の福音の中で、主の天使が非常に恐れた羊飼いたちに告げました。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。」と。「おそれるな。」という言葉は何度も繰り返し、新約聖書に出てきました。そのため、その言葉の大切さを疑う必要はありません。あるいは、恐れる理由は十分ではないのでしょうか。
2か月前、一人のフィリピン女性が私に、「神父様、祈りが私たちの国の腐敗を解決できると信じますか」と尋ねました。 彼女がなぜそう尋ねたのか、私にはわかっています。きっと、彼女はフィリピンにはあまりにも多くの腐敗があり、それを止めるために私たちにできることは何もないと感じていたのでしょう。選出された公務員・政治家・国のリーダーたちの多くは、全員でなくとも、すでにその過ちを犯しています。もっと悪いことに、彼らは手出しできない存 在のように見えます。
確かに、彼女は、祈りは状況を変えるのに何もできないと思ったのでしょう。彼女の恐れには理由があります。本当に、私の国は暗闇の内に陥っています。状況は深刻です。彼女の質問は、私に立ち止まって国の現在の出来事について考えさせました。日本も、多分、同じ質問を考えられるかもしれません。今、日本で起きているすべての事態を考えると、私たちの国はどうなってしまうのでしょうか。物価が絶えず上昇し、お米が不足し、自然災害や人材不足なども見られます。将来に不安を感じて、パニックになりそうです。未来は希望がないように思えます。私たちは何を心配しているのでしょうか。何が起きるのでしょうか。私たちには未来がどうなるかわかりません。何よりもまず、私たちは闇に包まれています。
「恐れることはない。」と天使ガブリエルは私たちを安心させ、「生まれる子の名はインマヌエル、すなわち、神は我々と共におられる」という意味であると言います。天使のメッセージは、私たちの希望です。
暗闇の中にあっても、「光は見い出される」と天使は私たちを確信させてくれます。そして、その光はインマヌエルで、神は我々と共におられると言う名の意味です。その名前は、彼が遠く離れることなく、私たちと共にいてくださり、すぐそばにおられ、近さ、その親密さという約束です。それは、主が私たちに心に留めてほしいと考えていること、すなわち、主は私たちの近くにおられるという主のメッセージです。別の言葉で、言えば、私たちは一人で旅をしているのではなく、思いやりと慈しみ深い神と共に歩んでいます。
兄弟姉妹の皆さん、闇に包まれ、孤独で、弱く、心細く、不安を感じるかもしれません。けれども、本日の聖書朗読はおとめマリアの子、つまりインマヌエルについて語っており、それは大きな慰めになります。インマヌエルの中に、私たちは共に旅をする仲間を見い出します。その方は私たちが握りしめることのできる温かい手を持ち、寄り添って泣くことのできる肩を持ち、裁くことなく耳を傾け、知恵と慰めを語る口を持ち、そして、時には困難に挑戦する勇気を与えてくれます。そして、すべてを理解し、許してくださる心をもっています。
兄弟姉妹の皆さん、インマヌエルは、私たちの恐怖を取り除くのではなく、そのすべての中で一緒に歩んでくださいます。暗闇の内にいる人々にはインマヌエルが必要です。いつも一緒におられ、力と支えを与えくださるからです。