「垂水教会一般」カテゴリーアーカイブ

主に垂水教会内での情報

聖金曜日 主の受難

2020年4月9日

カトリック垂水教会 信徒の皆様

担当司祭:林 和則

聖 金 曜 日  主 の 受 難

♰主の平和
 明日の典礼はキリストの受難を記念します。今夜の聖木曜日の典礼の最後に行われる「聖体安置式」によって、キリストは私たちから取り去られ「不在」となります。そのために明日の典礼はミサではなく「ことばの祭儀」で行われます。ミサという食卓はキリストが主人であって、私たちを招いてくださることによってはじめて成立するからです。従って、主人が「不在」であっては食卓、ミサという宴を開くことはできません。
 その「不在」を可視化するために祭壇には何も飾らず、十字架もろうそくも置かれず、祭壇布もかけられずに「裸」のままです。
 なお、日本においては聖金曜日は平日ですので一般的には夜間に行われますが、本来は午後3時から行うようにと定められています。それはマタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書がイエスの死が午後3時ごろであったと記しているからです。
 
 「主の受難」の典礼は「ことばの祭儀」「十字架の崇敬」および「聖体拝領(交わりの儀)」の三部から成っています。「および聖体拝領」と書きましたのはこれまでの説明でお察しされることと思いますが、キリストが「不在」であるがゆえにミサが行われないのですから「パンの聖別」ができないゆえに「聖体」も存在しないはずなのです。実際、カトリック教会(東方教会は別)では7世紀まで聖体拝領は行われず、16世紀にも聖体拝領は司祭だけとされた時期もありました。  
 聖金曜日の典礼における聖体拝領は司牧的配慮で行われる付加的なものであって、中心は「ことばの祭儀」における「受難の朗読」にこそあるのです。

 「受難の朗読」の前に置かれているイザヤの預言は、なぜ神の子であるキリストが人の手によって十字架で殺されねばならなかったのかという、弟子たちを苦しめた大きな問いに対しての弟子たちの答えを求めての歩みを知るうえで、とても大切な箇所です。
 現在の私たちはある意味、「十字架」に慣れてしまってはいないでしょうか。それを見ても、自分たちの信仰の対象、シンボルとして抵抗なく受け入れてしまってはいないでしょうか。けれども、十字架の神秘、そのはかり知れない恵みを感じるためには、当時のローマ世界のまた弟子たちにとっての「十字架」とはどのようなものであったのかを知る必要があり、それを「受難の朗読」を通して追体験するように聖金曜日の典礼は構成されています。
 
 十字架は当時のローマ世界にあって、もっとも残酷で、屈辱的な刑でした。それは受刑者の人格を粉々に打ち砕き、その存在の痕跡さえも消し去ってしまうがごとき刑罰でした。まず十字架に架ける前に、拷問によって肉体を鞭で、精神を罵詈雑言で破壊していきます。そして十字架の木を担がせて(かなりの重量ですから現在では横木だけであったのでは、という説もあります)人びとの中をさらしものにして歩かせます。刑場につくと裸同然の姿にして十字架の上に寝かせて両手に一本ずつ、両足を交差させて一本の釘を打ち込みます。
 そして立てます。磔にされた受刑者は次第に体が下がってきて喉がつまり、最後は窒息して死にます。それはまさに真綿で首を絞めていくように、徐々に息苦しさが増していくという非常な苦痛でした。死んだ後、原則的に死体は埋葬されずに架けられたままで残されます。やがて腐った死体は地に落ちて、鳥や獣によって食い尽くされていき、遺骨さえも残らないのです。そのことはローマ帝国内において数多く十字架刑が行われたのにも関わらず、その遺骨がほとんど残っていないことからもわかります。
 この残酷さは、十字架刑がローマ帝国への反逆罪に課せられるものであり、いわば逆らえばこうなるという「見せしめの刑」であったからです。
 当時の人びとにとって十字架刑は恐怖であり、哀れというよりも目を背けて関わり合いを拒みたくなるような、みじめで恥辱に満ちたものでした。最低、最悪の死に方として恐れられ、嫌悪されていたのです。

 イエスが、神の子がそのような「十字架」に架けられて殺されてしまったのです。弟子たちの衝撃はどれほどのものであったのか、察するに余りあります。
 出口のない闇の中をさまようにして弟子たちは苦しみ悶えながらも「なぜ、どうして」と問いつづけたことでしょう。そんな弟子たちにひと筋の光を与えてくれたのが、第一朗読のイザヤの預言でした。

「彼の姿は損なわれ、人とは見えず もはや人の子の面影はない。
 それほどに、彼は多くの民を驚かせる(52:14-15)」
「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた(53:8)」
「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
 彼らの罪を自ら負った(53:11)」
「多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは
 この人であった(53:12)」

 この箇所は現代では「苦難の僕」と呼ばれています。弟子たちはここに預言されている「わたしの僕」の姿に十字架のキリストの姿を見出しました。それによって暗闇から抜け出し、この世的には敗北の象徴であった十字架を逆にキリストの勝利、栄光として崇めていくのです。それはまさにこの世的な価値観が逆転し、まったく新たな福音的価値観へと開かれていく、新しい世界の始まりだったのです。
 十字架を担って生きることは、この世的な価値観ではなく、福音的価値観に従って生きていくことなのです。
 
 そのためにキリストがどれほどの苦しきを過ぎ越さねばならなかったか、その苦しみを受難の朗読を通して深く心に刻み込まねばなりません。それがキリストの過越によって無償で救われた私たちの責任、キリストの愛に応えることになると思います。キリストの苦しみに共感していくのです。
 それはまた全世界の人びとの苦しみに共感していくことになります。イエスが死ぬ前に大声で叫んだ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(マタイ27:46)」はけっして個人的な絶望の叫びではありません。
 「あの叫びの中で、歴史上のすべての磔刑者たちが叫んでいました。それは不正に対する憤り、抗議の叫びでした。同時に希望の叫びでもありました。初期のキリスト者たちは、このイエスの叫び声を決して忘れませんでした。すべての人の幸せを求めて排斥され、処刑されたこの人の叫びには、いのちの究極的な真理があります。この磔刑者の愛の中には、苦しむすべての人と一つになり、あらゆる時代の、あらゆる不正、虐待、暴行に反して叫ぶ神ご自身がおられます(パゴラ・エロルサ・ホセ・アントニオ神父「イエス あなたはいったい何者ですか」ドン・ボスコ社501頁より)」
 この叫びが受難の朗読全編を貫いています。イエスの苦しみ、この叫びに共感することは、私たちも現代の世界にあって苦しみ叫ぶ人びとと共に叫び、その人々の痛みに共感することです。イエスの受難を黙想することが閉鎖的なセンチメンタルなものに終わるだけでは足りないと思います。

 第二部の「十字架の崇敬」におきましても、どうぞ全世界の苦しむ人びとともにおられるキリストの姿として、十字架を礼拝してください。今年は、典礼のネット中継を通してか、黙想の中において礼拝してください。

祈りのうちに

*明日、主の受難を思うべき日の日中に「復活の徹夜祭」についてのメッセージを出すことは典礼暦的に相応しくないので、明後日の午前中に発信いたします。

聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ

2020年4月8日

カトリック垂水教会 信徒の皆様

担当司祭:林 和則

聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ

♰主の平和

 皆さん、いよいよ明日から、一年間の典礼暦でもっとも大切な典礼、典礼暦の頂点と言ってもよい「聖なる三日間の典礼」が始まります。誠に心が痛みますがご承知の通り、今年は教会聖堂における「聖なる三日間の典礼」に与って頂くことができません。だからといって、この三日間を無為に過ごすことは、キリストがご自分の命を捧げてまで与えてくださった大きな恵みに応えないことで、あってはなりません。6日に皆さんに発信いたしました「聖なる三日間および復活祭への対応について」の中での勧めを参考にして頂き、よき「聖なる三日間」を過ごして頂けることをお祈りしております。

 「聖なる三日間」は旧約の「出エジプト」に替わる新たな過越である「キリストの死と復活」を記念するための典礼です。新約聖書が書かれた言葉であるギリシア語の「記念」を意味する「アナムネーシス」は単に出来事を「思い起こす」だけでなく、その出来事がまた「現存化」するという意味が含まれています。ですから「聖なる三日間」の典礼を執り行うことによって、「キリストの死と復活」が私たちの現在の教会の中に再起し現存するのです。「聖なる三日間」の典礼は少しでも私たちが過去に起こったキリストの死と復活の出来事を追体験し、それによって実現した救いと恵みを、今まさに実現している恵みとして受けることができるように、とてもよく考えられている、すばらしい典礼です。

  明日、聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」は、いわゆる「最後の晩さん」を記念する典礼です。ヨハネの福音書はその出来事の始めを次のように書き出しています。

「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた(13:1)」

 「この上なく」つまり最上級の、最高の愛をもってということです。最後の晩さんの行われた広間には、このイエスの弟子たちへの「この上ない愛」が満ち満ちていました。最後の晩さんの時間は最初から最後までイエスの「この上ない愛」に包まれていました。それを記念する聖木曜日のミサもまた、私たちへのイエスの「この上もない愛」に包まれているのです。
 その愛を具体的に行動によって示されたのが、弟子たちの足を洗う行為でした。この日の福音はその箇所が朗読されます(ヨハネ13:1―15)。
足を洗うという行為は当時の世界にあっては使用人、多くは奴隷の行う、いわば「汚れ仕事」でした。ペトロにいたっては驚きあわてて「わたしの足など、けっして洗わないでください(13:8)」と自分の師であるイエスに訴えます。イエスは弟子たちの足を洗った後、「師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない(13:14)」と言われます。これは弟子たちにというよりも、私たち教会にたいして命じられたことばとして受け止めなければなりません。教会はこの世的な組織とはまったく逆の構造を有しているのです。国家や会社は少数の支配者が多くの人びとを支配するという、いわゆるピラミッド型の構造です。けれども教会は逆ピラミッドなのです。上に立つ人ほど、人びとに仕える者とならなければならない、下って(へりくだって)行かなければならない、それが教会なのだと。互いに仕え合うのが教会共同体であると、イエスは身をもって模範を示されたのです。

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである(13:15)」

 このイエスの教えを聖木曜日の典礼では説教の後に「洗足式」を行うことで具体的に表現し、会衆に実体験してもらいます。その際に留意しておくべき点は、イエスはユダの足をも洗われたということです。洗われた後で「しようとしていることを、今すぐ、しなさい(13:27)」とユダを外に出すのです。私たちは自分を裏切ろうとしている、また自分を憎んでいる人の足を洗うこと、その人の前でへりくだることができるでしょうか。イエスはそれをも模範として示されたのです。「洗足式」に与る時、もし今の自分にとってそのような人がいるのであれば、イエスのようにその人たちにも仕えることができるための助けを願いましょう。

 最後の晩さんにおいてイエスは聖体の秘跡の制定をされて、私たちに「ミサ」という最大の恵みを残してくださいました。この「聖体」は最後の晩さんを包み込んでいた弟子たち、私たちへの「この上ない愛」が結晶化したものであるといえます。私たちはミサを通して、聖体を通して、今もイエスの「この上ない愛」を実感し、頂くことができるのです。
「聖体の秘跡」の制定は、毎週のミサの中でも奉献文を通して記念していますが、「主の晩さんの夕べのミサ」では特にそれを強く思い起こし、改めて記念、感謝する典礼です。また改めて、これからの一年を聖体の秘跡と共に信仰生活を送ることを決意しつつ、心をこめてパンとぶどう酒の聖別、聖体拝領に与ります。 
 
 聖木曜日の典礼では最後に「聖体安置式」が行われます。いつもは聖堂内の聖櫃に安置されている聖体を聖堂外の他の場所に運ぶ式です。これによって、最後の晩さんの後、ユダによって率いられてきた大勢の群衆によってイエスが逮捕されたことを記念します。それはこの世的な思いと力によって、私たちからイエスが奪い取られたことを意味します。そのために聖堂の「外」に聖体が運び出されます。イエスは「不在」になります。
その「不在」の間、イエスは弟子たちからも見放され、孤独になって不当な裁判また残酷な拷問を受けていることを、安置所の仮祭壇の前で私たちは黙想します。聖堂の祭壇から覆いを取り外し、祭壇を「裸」にするのも、イエスの不在とともにイエスが全てを奪われて苦しめられている姿を可視化するためです。

 また最後の晩さんの後、逮捕の前のゲッセマネの園での苦しみも福音書を読んで黙想しましょう。

(マタイ26:36―46、マルコ14:32―42、ルカ22:39―46)

 「主の晩さんの夕べのミサ」はイエスの愛に包まれた晩さん、聖体の秘跡の制定による、光に満ちたような喜びが、聖体安置式によって一気に暗闇と悲嘆の中に突き落とされていくような典礼です。
 けれども、その暗闇の中にあっても、イエスの「この上のない愛」はけっして消えることなく、人びとを、自分を訴え拷問する人びとをも包み込んでいたのです。どんなに拒否されても、イエスの「この上のない愛」は全ての人に向かって輝き続けていたのです。それが「十字架」に結晶して行きます。

 聖体の秘跡の制定を特別に記念する「主の晩さんの夕べのミサ」は確かにミサに参加してこそ、その意義を深く味わえると言えます。ですからぜひ、可能な方は大阪教区、東京教区が中継するユーチューブでの聖木曜日のミサに与ってください。特にパンとぶどう酒の聖別をいつもよりもよく見つめ、最後の晩さんを黙想してください。そして霊的聖体拝領をしてください。

 また各福音書に記述されている最後の晩さんからイエスの逮捕の出来事を読んで、黙想してください。

祈りのうちに

今の状況にあって聖なる三日間と復活祭を迎えるために

2020年4月7日

カトリック垂水教会 信徒の皆様

担当司祭:林 和則

今の状況にあって聖なる三日間と復活祭を迎えるために

♰主の平和

 本日、政府は新型コロナウイルスの感染拡大に備えるため、兵庫県を含めた7都府県に緊急事態宣言を発令することを決定しました。いよいよ外出を含めたさまざまな通常の日々の営みが制限されていきます。その中にあって、大阪教区が聖なる三日間と復活祭において公開ミサを中止したことは適切な措置であったといえます。この日々を単に「耐える」のではなく「すべてのいのちを守るため」に教皇様また全世界の教会とともにキリストの心をもって、積極的に私たちの生活を捧げていくようにいたしましょう。

 けれどもやはり、皆さんにとって聖なる三日間と復活祭の典礼をこれまで毎年、通い続けてきた垂水教会の聖堂で祝えないことは、大きな痛みでしょう。私は今月1日の書面において「今の私たちはバビロンの捕囚時における神の民のような状況」と書きました。この連想を深めていきたいと思います。
 紀元前6世紀初めからバビロニア帝国が南ユダ王国を圧迫し、たびたび攻撃をして来ました。ユダの王たちはバビロニアに屈従しますが、王国最後の王となったゼデキヤが反抗しようとしたことによって、紀元前586年、バビロニアはエルサレムを徹底的に神殿もろとも破壊し、王国を滅ぼしました。そして占領政策として王族、家臣団、知識階級であった祭司たちを主とする多くの人びとを捕囚として首都バビロンに連行し、以後47年間、ユダヤの人びとはバビロンでの捕囚生活を送ることになったのです。
 
 それは民族として、またユダヤ教徒として、大きなアイデンティティの危機でした。まず大きく信仰が揺らぎました。当時の戦争は民と民の戦いだけでなく、それぞれの民が信じる神と神との戦いでした。ですからユダがバビロニアに敗れたということはユダヤ教の神がバビロニアの神々に負けたことになるのです。しかもユダヤ人にしてみると唯一絶対の万能の神が、ライオンの姿を持ったような偶像の神々に負けてしまったのです。「はたして私たちの神はまことの神であったのか」そのような疑問をさえ、ユダヤの人びとは抱き、自分たちのこれまでの信仰生活がすべて否定されたような絶望と虚無に陥ったのです。

 またそれまでのユダヤ教は神殿が中心でした。神殿が聖なる場所であって、もっとも大切な礼拝は神殿でのいけにえの儀式でした。それによって民は神と和解し、つながりを保ち続けることができると考えていました。それらが全て、奪い去られてしまったのです。しかもユダヤ人にとって異国の地は異教の地であって「汚れた土地」でした。神殿で礼拝することができず、異国の地にあってユダヤの民はどのように信仰を守ればよいのか、途方に暮れていました。このままでは、ユダヤの民も信仰もアイデンティティを失い、バビロニアの民族と宗教の中に埋没してしまいかねません(それがバビロニアの占領政策でした)。神の民の歴史の中で最大の災厄であり、存続の危機を目前にしても為すすべもなく、人びとは打ちのめされ、無力感と神から見放されたような絶望感の中に沈み込んでいました。

 けれども結果的に、このバビロンの捕囚がユダヤ教を刷新し、また旧約聖書の編集を最終的な完成へと導いていったのです。それはユダヤの民とユダヤ教を存続させようとして、絶望せずに神に祈り求め続けた祭司たちの働きが大きな力になりました。
 祭司たちの努力のもっとも優れた実りは「安息日」の制度をユダヤ教に導入したことでした。それによって、どのような場所にいようとも関係なく、時間を、生活そのものを聖化することを可能にしました。安息日によって信仰生活にリズムを作りました。バビロンにおける、この世的な価値観に支配された日常に流されないために、安息日には労働をやすみ、俗事の煩いを離れて、神のことばを聴き、黙想の時間を持つ。神のことばによって日々の生活を振り返り絶えず刷新することによって、神殿はなくとも、異国の地にあっても、神と共に生きる生活が可能になったのです。

 今、私たちはそのかつての「安息日」に替わる「主日」に聖堂でのミサに与っての信仰生活を送ることができません。間違いなくミサは私たちにとって、最高の礼拝であり、信仰生活の中心、信仰を生きるための命の泉です。
 けれども、そのミサを豊かにするのは日々の生活の場での祈りであり、黙想なのです。もちろんミサ自体は他の何ものによっても代えられることのできない恵みですが、その恵みをより深く自分の内に豊かにするためには、日々の祈りが必要であり、また信仰を自分のものとし、人生と結びつけるために黙想が必要です。昨日の運営委員会の報告でも触れましたが、どこかで私たちはミサに出ていればそれでいいと、黙想の努力を怠ってはいなかったでしょうか。もっとも、それは私たち司祭の霊的指導が不十分であったためでもあり、皆さんだけの責任ではありません。

 この時を利用して、各自の家庭においてみことばを味わい、それを自分の生活に照らし合わせて黙想することに更なる努力を傾けてみてはいかがでしょうか。それによって、バビロンの捕囚にあった神の民のように、この災厄の時を信仰のための恵みの時とすることができるのではないでしょうか。
 また私たちは日本の教会の民として次のことも忘れず心に銘記すべきです。江戸の禁教令の時代、潜伏キリシタンの人びとは過酷な迫害の中でミサを待ち望みながら、約230年もの間、信仰を守り抜いたことを。

 またユダヤ人は捕囚の前、いつの間にか儀式と礼拝を惰性的に行い、信仰が生活から乖離(かいり)してしまっていました。それを預言者たちは何度も警告しましたが、民は耳を傾けようとはしませんでした。そんなユダヤ人にとって、捕囚の時期は自分たちの信仰をゆっくりと見直す時にもなったのです。
 私たちも今、自分の信仰生活を見直す時であるのかも知れません。

 教皇フランシスコは3月27日、バチカンで無人のサン・ピエトロ広場の前で「ウルビ・エト・オルビ(ローマと全世界へ)」の祝福を祈る前に、神に向かって次のように語りかけられました。

「今はあなたの時ではなく、私たちが見極める時です。大切なことと過ぎ去ることを見分け、必要なこととそうでないことを区別する時です。私たちの生き方を立て直し、主よ、あなたと他者に向かわせる時です(カトリック新聞2020年4月5日発行第4526号一面記事より抜粋)」

 この「見極め」「立て直し」は信仰生活はもちろん、私たち人類全体の今のあり方についても必要であるような気がします。ひとつには今の私たちの際限もなく膨張し、歯止めの利かない消費文化です。そのために地球環境、人間関係が犠牲にされていっていると思います。

 この三日間と復活祭をぜひ、ご家庭でのみことばを通しての祈りと黙想の日々、それを通しての信仰生活の刷新の日々、また全世界の人びとを思い、共に歩む日々として頂きたいと思います。
 この世界を新たにするためであった、キリストの死と復活、新たな過ぎ越しを生きるためにふさわしい過ごし方として、皆さんにこのような祈りと黙想の日々をお勧めしたいと思います。

祈りのうちに

聖なる三日間および復活祭への対応について

2020年4月6日

カトリック垂水教会 信徒の皆様

担当司祭:林 和則

 

聖なる三日間および復活祭への対応について


 

♰主の平和

4月1日の教区からの通達を連絡する書面におきまして「聖なる三日間、復活祭を聖堂での典礼のできない状況にあって、どのように過ごして頂けばよいのか、運営委員会とともに検討し、何らかの提案をしていきたい」とお伝えしました。そのために昨日5日に臨時運営委員会を開催いたし、委員とともに検討いたしましたので、その内容を以下にご報告いたします。

まず上記の4日間(9日~12日)の間、地区別に時間枠を設けて聖堂での聖体訪問と黙想の時間を行うという可能性を考えました。これについては「先に聖堂閉鎖を伝えたばかりなので皆さんの中に混乱や誤解が生じる恐れがある」「一般企業のビルや事務室に入るのでさえ体温の測定がなされている現状の社会の共通認識に照らしてみて不適当ではないか」という疑問が出されました。何よりも「日本の教会では個人としての黙想、観想という祈りの習慣があまりできていないと思える。むしろ今、ミサに与れないこの時期こそ、黙想や観想を通して神と対話する大切さを感じることができるのではないか」という意見に私も委員も大きく心を動かされ、聖堂で何かを行うのではなく、信徒の方がたがご自分の家庭において個人で、また家族でできることを考えて行こうということになり、結果、以下のように決定いたしました。

  1. 現在の状況における聖なる三日間と復活祭を迎えるための霊的な勧め、また聖なる三日間と復活祭をよく迎えて頂くためにそれぞれの典礼の意義についての司祭からのメッセージを、一斉送信とホームページを通して発信します。
  2. 復活祭の当日の朝9時、物理的には離れていても、垂水教会の共同体がひとつになって主の復活を讃えるために「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」「栄光唱(栄光は父と子と聖霊に、初めのように、今も、いつも、アーメン)」を各自のいる場所で唱えることをお願いいたします。
  3. 聖なる三日間と復活祭の典礼は大阪教区または東京教区がユーチューブを通して中継される予定ですので、それを見て参加し、ご聖体の霊的拝領をすることをお勧めします。くわしくは各教区のホームページをご覧ください。
    大阪教区ホームページ http://www.osaka.catholic.jp
    東京教区ホームページ http://www.tokyo.catholic.jp

1. につきましては明日7日に「聖なる三日間と復活祭を迎えるための霊的勧
め」を、8日に聖木曜日、9日に聖金曜日、10日に復活徹夜祭、11日に復活祭のそれぞれの典礼の意義についてのメッセージを送信していきます。
2. につきましては強制ではありません。あくまでも共同体の皆さんへの呼び
かけです。

聖なる三日間と復活祭の典礼を教会で与れないということは、皆さんにとって大きな心の痛みであることでしょう。けれども、大阪教区や他の教区が決定したこの措置はキリストの隣人愛に基づいているのです。
「こうして公開の形での主日ミサを取りやめているのも、何度も強調してきましたが、自分の身を守るためというよりも、無症状のままで感染源になる可能性があるという今回のウイルス感染の特徴のため、知らないうちに自分が感染源となって、他の人たちを巻き込んでしまうことを避けるためです」
(中 略)
「コロナウィルス感染症の蔓延は、わたしたちに、すべてのいのちを守るためには、自分の身を守ることだけではなく、同時に他者のいのちにも心を配る思いやりが必要なのだということを思い起こさせています。すなわち、すべてのいのちを守るための行動は、社会の中での連帯と思いやりを必要としています」
3月29日四旬節第5主日の東京教区ネット中継ミサでの菊池大司教様の説教です。全文は東京教区のホームページに掲載されています。
昨年11月の教皇フランシスコの訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため」でした。今まさに、私たち教会はこの状況の中でそれが問われているのです。

以上

4月5日のミサ(受難の主日)

4月末日までの週日・主日ミサを中止いたしますので、ご自宅でお祈り下さい。

受難の主日(枝の主日)聖書と典礼 2020年4月5日

※ 受難の朗読(マタイによる福音 27章 11-54節)は省略いたしました。お手持ちの聖書でお読みください。

入城の福音

マタイによる福音(マタイ21・1-11)

 〔イエスの〕一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 「シオンの娘に告げよ。
 『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
 柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ダビデの子にホサナ。
 主の名によって来られる方に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」
 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

第一朗読

イザヤの預言(イザヤ50・4-7)

主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。

第二朗読

使徒パウロのフィリピの教会への手紙(フィリピ2・6-11)

 〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

福音のメッセージ

「子ろばに乗って」

*今日は「受難の朗読」ではなく「入城の福音」からのメッセージを皆さんにお届けします。

カトリック垂水教会担当司祭:林 和則

 本日の典礼は聖週間の初日にあたり、主がついにエルサレムに入城されたことを記念します。マタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書では、イエスの宣教活動中におけるエルサレム入城はただ一度、その最期の日々に果たされたとされています。それによって、エルサレム入城が同時に十字架の死へ向かう最後の一歩であったことを意味しています。ちなみにヨハネではイエスは5回、エルサレムに上ったとされています。

 けれども今日の福音にあるように、その入城の様子は十字架の死とはまったく逆の勝利と栄光に満ちたものでした。大勢の群衆が王を迎える時のようにその進む道に自らの服や木の枝を敷き詰め、イエスの前後を取りまいて「ダビデの子にホサナ」と歓呼の声をあげます。そう群衆はまさにイエスが彼らの待ち望んでいた真の王であるメシアとしての行動を開始するためにエルサレムに来られたのだという期待に熱狂していたのです。

 群衆のこの熱狂を理解するためには、当時のユダヤがメシアを待ち望む運動、いわゆるメシア主義(メシアニズム)にいかに沸騰していたかに思いを馳せる必要があります。それは福音書全編の背景を思い描くためにも欠かすことのできない視点です。その運動は同時にローマ帝国からの独立運動、民族主義的な熱情と一体化していました。ユダヤ人はローマ帝国から民族を解放してくれる政治的、軍事的な王としてのメシアを待望していました。

 私たちはしばしばそれを神の救いをもたらす真のメシアを理解できずに地上的な栄光を求めていた愚かなユダヤ人として蔑視しがちです。また今日の受難の朗読また聖なる三日間の福音朗読においてユダヤの祭司たちや民衆を、イエスを十字架の死に追い詰めた「悪役」として捉えがちです。けれども皆さんに気をつけて頂きたいのは、そのような視点をもって福音を読もうとすることです。そのような視点が欧米におけるカトリック教会を中心としての反ユダヤ主義の温床となったのです。

 何世紀にもわたって大国の支配や侵略に虐げられてきた弱小民族が解放と独立を切望するのは当然のことです。むしろそのような「人間的な見方」を超えた神の思いに開かれていくことはきわめて困難なことで、おそらくどの民族にあってもそれは同じで、私はイエスがどの民族に生まれていても、やはり死刑にされていたと思います。何よりもイエスがそれをもっとも理解されていたことでしょう。それでもなお神の民であるユダヤ人を愛されていたことが大切です。だからこそイエスはエルサレムを思って涙を流されたのです。

 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛(ひな)をその羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか(マタイ23:37)」

 まさにイエスは母親が幼いわが子を腕の中に抱きしめるようにして、ユダヤの民を愛されていたのです。ここから言えることは、イエスの十字架の苦しみは肉体的なものだけでなく、弟子たちの裏切りがそれ以上の苦しみであったとよく言われますが、それと同様に愛する民から見放されて、憎まれ、さらに殺されるという大きな苦しみがあったのです。

 今日のエルサレム入城で歓呼する群衆にもイエスは真のメシアを理解してもらおうとして必死に訴えています。それが「子ろばに乗って」入城する姿です。イメージしてみてください。人びとが立ち上がってイエスを讃えている、けれどもイエスは低い子ろばに乗っているために人びとの視線より下にいて、人びとを見上げています。人びとはイエスを見下ろしています。何という奇妙で、ちぐはぐな光景でしょうか。この光景にふさわしい姿は馬に乗って来る姿だったのです。馬に乗れば人びとを見下ろし、人びとは見上げることになります。だからこそ馬は権力者と軍人の乗り物でした。まさにそれは「政治」と「軍事」の象徴で、人びともそのような姿こそをメシアに、イエスに求めていました。

 だからこそ、イエスはろば、しかも子ろばに乗ってきたのです。ろばは庶民が運搬また乗用に生活のために使用するものでした。それは「仕えること」と「平和」の象徴でした。イエスにとってメシアであるということは「仕える」ためであり「平和」をもたらすことでした。それが人びとに理解できないのは、イエスは単に「人間的な見方」によってではなく、それを超える「神の愛の視点」から実現しようとされていたからです。

 ですから、群衆の歓呼が響き渡るような輝かしい今日の福音には、実はイエスと群衆の思いの深い断絶がすでに表れていて、受難の序曲ともいうべきものであるのです。

 繰り返しますが、受難の福音を黙想する時にはイエスのユダヤ人の愛を想起してください。そして私たちも福音のユダヤ人のようにイエスが何度も何度もご自分の腕の中に私たちを抱き迎えようとしてくださっているのに、そこから逃れて、この世的な価値や快楽に走っていることを。「エルサレムよ、エルサレムよ」と嘆かれ涙を流されたように、新しいエルサレムであるキリストの教会の子らである私たちのために嘆かれ涙を流されていることを。

お知らせ:

大阪大司教区、東京大司教区等で、YouTubeを利用したミサのLIVE配信を行っています。下記記載のURLよりYouTubeをご覧になれる環境をお持ちの方はぜひご活用ください。

大坂大司教区 4月5日 10:00
http://www.osaka.catholic.jp/c_oshirase_bun2020.html#200319

東京大司教区 4月5日 10:00
https://www.youtube.com/watch?v=eRc_PYecgvY

4月末までミサの中止および教会施設の閉鎖を延長します

2020年4月1日

カトリック垂水教会 信徒の皆様

担当司祭:林 和則

4月末までミサの中止および教会施設の閉鎖を延長します
♰主の平和
本日午後、前田大司教様より、第5次の「新型コロナウイルス感染症にともなう措置」の通達がFAXによって送られて参りました。
通達の全文は大阪教区のホームページ(http//www.osaka.catholic.jp)に掲載されています。「更新情報」の中の「お知らせ(4月1日)」をクリックしてご覧ください。
ここでは、第5次の通達中、垂水教会が取るべき措置に関係する重要な通達を以下に列挙しておきます。

  • 1.大阪教区での公開ミサは、4月末まで中止とします。5月以降に関しては、4月23日(木)ごろをめどに、改めて通知します。
  • 2.ミサ以外の諸行事や講座などに関しては、できる限り延期または中止するようにしてください。
  • 3.秘跡の授与(洗礼、聖体、ゆるしの秘跡、病者の塗油など)に関しては、小教区の責任司祭に一任します。
  • 5.公開ミサ中止期間中、大阪教区のすべての信徒に主日のミサに与る義務を免除します。各自が家庭で、聖書を朗読したり祈りを捧げたり、ロザリオの祈りをしたりする時を持つように勧めます。

上記の通達に従って、4月末日まで週日、主日のミサの中止、また聖堂、信徒会館の施錠、駐車場、遊具の使用禁止による教会の閉鎖を延長いたします。
聖週間および復活祭については、大阪教区では聖なる三日間の典礼のインターネット中継を検討しています。また皆さんの霊的指導の責任を担う担当司祭としましても、一年間の典礼で最も大切な聖なる三日間、復活祭を聖堂での典礼のできない状況にあって、どのように過ごして頂けばよいのか、運営委員会とともに検討し、何らかの提案をしていきたいと考えております。ある意味、今の私たちはバビロンの捕囚時における神の民のような状況にあるのかも知れません。当時の神の民がその苦境を乗り越えたように、私たちも揺らぐことのない信仰をもって歩んで行きましょう。

3月29日のミサ(四旬節第5日)

4月8日(水)までの週日・主日ミサを中止いたしますので、ご自宅でお祈り下さい。
今回も神父様の福音のメッセージが入っております。皆さんと共に早く収束する事をお祈りいたしましょう。

四旬節第5主日 A年 聖書と典礼 2020年3月29日

第一朗読

エゼキエルの預言(エゼキエル37・12-14)

 主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる。

第二朗読

使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・8-11)

 〔皆さん、〕肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、”霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

福音書

ヨハネによる福音(ヨハネ11・1-45)

 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

 マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

福音のメッセージ

「イエスは涙を流された」

カトリック垂水教会担当司祭:林 和則

 福音書では、イエスのことばとわざが伝えられていますが、そのことばを発した時、そのわざを行った時、イエスがどのような表情をされていたのか、どのような思い、また感情を抱かれていたのか、ほとんど伝えられていません。その中にあって、今日の福音はイエスの表情や思いが非常に生々しく記述されている箇所であるといえます。
「心に憤りを覚え、興奮して(11:33)」「涙を流された(11:35)」
「再び心に憤りを覚えて(11:38)」「大声で叫ばれた(11:43)」
 二度も繰り返して書かれている「心に憤りを覚え」ですが、皆さんの中にはなぜ「憤り」なのかと疑問に思われる方が多いのではないでしょうか。イエスはラザロの死を嘆き悲しむ人びとを目の前にしているのです。むしろ「悲しみ」こそがその場にふさわしい感情なのではないかと。この「憤り」については、イエスは「死」に対して憤りを覚えられたのだという解釈が一般的です。

「イエスが「心に憤りを覚えた対象」は、人間をやり場のない悲しみに突き落とす死だと考えられます(雨宮慧神父「主日の聖書解説〈A年〉」)」

「イエスはこういう死の事実、悪魔の支配の事実に対して怒りと興奮をもって臨んでおられるのであり、またその悪魔の支配の前になすすべをもたず、ただ嘆いている人々に対して憤りを覚え興奮しておられると解すべきであろう(松永希久夫牧師「新共同訳新約聖書注解Ⅰ486頁より」)」

 私も上記のような解釈がヨハネのメッセージであろうと思います。ただ私はこの福音の箇所を解釈ではなく、黙想する時、もっと多くの人びとの嘆き、悲しみ、それは天地をゆるがす叫びとなるような慟哭の叫び、その中に立たれ、泣き、憤りを覚えておられるイエスの姿が立ち現れてくるのです。人類の歴史において数限りなく刻み込まれてきた、いわれもなき苦しみ、誰にどこに向かって怒りを向ければいいのかわからない苦しみ、突然、愛する人が理不尽に奪い去られるような苦しみ・・・。今、私がこの箇所を黙想するたびに眼前に立ちあがってくるのは、今月の11日に発生から9年をむかえた東日本大震災です。特に巨大な津波によって突然、愛する人を失われた方がたに思いが寄せられていきます。
 大切な人が突然、理不尽に亡くなった時、人はその理不尽さに耐えられません。意味もなく亡くなったということに耐えられないと思います。津波による死はまさにそうです。何のために、どうして・・・、と果てしない堂々巡りの思考の中に落ち込むそうです。そして同時に「憤り」に捉われるのだそうです。けれども「津波」では、その「憤り」をぶつける先が、相手がいないのです。相手がはっきりしていれば、その相手を追い詰めることでまだ少しでも気をまぎらわすことができるでしょう。相手に何らかの償いをさせることによって、亡くなった人に何かをしてやれたような思いになれるでしょう。けれども「津波」に対して「憤り」を覚えても、それは出口のないトンネルに閉じ込められていくようなものだそうです。
 もしそのような遺族の方がたの前にイエスが現われたならば、きっとその方がたは悲しみと怒りをイエスにぶつけて、マリアや人びとのようにイエスに訴えられることでしょう。

「主よ、もしあの時いてくださいましたら、わたしの愛する者は死ななかったでしょうに」
「盲人の目を開けたこの人も、津波で人が死なないようにはできなかったのか」

 そして、ラザロの時のように、津波で死んだ人びとが「洞穴」から出て来ることはありません。イエスはただ立ちつくしているだけです。けれども、私の黙想の中で、イエスは遺族の方がたとともに「涙を流され」「憤りを覚え、興奮して」大声で泣いているのです。

 今日の福音の奇跡はヨハネの福音ではイエスがなされた最後の奇跡とされています。ちなみに最初の奇跡は「カナの婚礼(2:1-11)」でのぶどう酒の奇跡です。ある意味、次の奇跡は「復活」です。実はラザロのよみがえりの奇跡は「復活」と対になっていて、「復活」の意味を明確にするためにあるといえます。
 ラザロのよみがえりはあくまでも「蘇生」であって、彼はそれまでの生活に「戻った」だけなのです。その生活はやはりやがて「死」を迎えるものでした。けれども「復活」は以前の生活ではなく、新たな生に向かって別の次元に開かれていくことなのです。それは天に向かって、すなわち父と子と聖霊の愛の交わりの無限の広がりに向かって開かれていくことです。これこそが私たちの天国です。
 そこにおいて、すべての人びとの目から涙がすべてぬぐい去られることを私は待ち望みます。私は黙想の中で、そこにおいて、イエスさまが大きな笑顔で人びとの中におられる姿を思い浮かべます。

 今日は聖書の解釈よりも、個人的な黙想のイメージを書かせていただきました。弁解させていただくと、それは今日の福音がイエスを取りまく情景をとてもリアルに描いていることが契機になっているといえます。

3月22日のミサ(四旬節第4主日)

3月31日(火)までの週日・主日ミサを中止いたしますので、ご自宅でお祈り下さい。

春の訪れとともに、早く収束する事を皆さんと共にお祈りいたしましょう。

四旬節第4主日 聖書と典礼 2020年3月22日

 

第一朗読

サムエル記(サムエル上16・1b、6-7、10-13a)

 〔その日、主はサムエルに言われた。〕 「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」
 彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。しかし、主はサムエルに言われた。 「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
 エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。

 

第二朗読

使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ5・8-14)

 〔皆さん、〕あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。―――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。―――何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
 「眠りについている者、起きよ。
 死者の中から立ち上がれ。
 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

 

福音書

ヨハネによる福音(ヨハネ9・1-41)

 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」彼らは、「お前は全くの罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

 

福音のメッセージ

「遣わされた者」

カトリック垂水教会担当司祭:林 和則

 福音書はイエスのことばとわざの単なる過去の記録ではありません。それは福音書を読む人びと、つまり教会共同体の置かれている状況の中で、その状況に今も生きたことばとして、共同体を導き、励まし、養成するために書かれています。そのため、しばしばイエスのことばと行いを共同体の現状に即したものとするために「編集」しています。だからこそ特にマタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書においては同じみことば、できごとが記述されていても、その文言や置かれている文脈が変わってくるのです。それは三つの福音が書かれた共同体の状況の違いから生じているといえます。
 ですからそれは、けっしてイエスのことばとわざの恣意的な「変更」ではありません。聖書を単に歴史学、文献学の研究の対象として考えるのであれば確かにそう言えるのかも知れません。しかし私たちにとって、福音書に限らず聖書は信仰の書なのです。
 それはまた、信仰共同体のための書であるということです。ひとことで言えば聖書は「今も生きて働く復活の主のことば」なのです。復活の主は初代教会の時も、現代の教会においてもなおも、キリストを信じる者たちの中に現存し、働かれ、福音を絶えず「生きたことば」として教会の中で信徒の働きを通して「現在化」されていかれるのです。福音書記者たちはその復活の主への信仰の視点から聖霊に導かれて書き、編集しているのです。何よりもそこには信仰共同体への深い思いがあり、それはまたイエスの思いでもあるのです。

 共観福音書とは取り扱うできごとも編集の視点にも大きな違いがあり、独特な立場から書かれているヨハネの福音には、その側面がもっとも強く表れています。今日の福音もまさにそのような箇所です。ここでは明らかに生まれつきの盲人のいやしという過去のイエスの奇跡のできごとが「初代教会の人びとの共同体の現代」とみごとに重ね合わせられています。そのキーワードとなるのが「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公けに言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである(9:22)」という説明です。実はこれはイエスの生存中にはけっして起こりえないことでした。イエスをメシアと信じる、ナザレ派という人びとが公けに現れてくるのは、イエスの復活後です。何よりも、その人びとを会堂から追い出すことがユダヤ教内で決定されたのは紀元90年代になってからのことだったのです。また、見えるようになった盲人を尋問する人びとの中に、イエスの在世当時、ユダヤ教の指導者層であった祭司たちやサドカイ派の人びとが登場しないことも考えられないことです。ファリサイ派の人びとがユダヤ教の指導者層になるのは70年以降のことです。それはローマ帝国によるエルサレム破壊の時に祭司たちやサドカイ派の人びとが壊滅した結果でした。
 これらのことから明らかにヨハネは福音書が書かれた時代(90年頃と考えられています)、今、自分たちが共に生きている信仰共同体の現代の中にこの奇跡のできごとを置き換えているのです。
 何のためでしょうか?それを解くカギは「シロアム」を「遣わされた者」という意味に変えていることにあります。「シロアム」はアラマイ語の「水道」を意味する「シロア」から派生しています。それは「エルサレムの北方にあるギホンの泉からエルサレムに供給する水やキドロンの谷の水を確保しようとして作られた水道ないし水道網のことを指す・・・水路は水を南のシロアの池に引き込み、そこは洗い場になっていた(新約聖書注解Ⅰ(日本基督教団出版局)469頁より)」
 「シロアム」は「水道」という意味で、「遣わされた者」という意味ではないのです。実は、ヨハネはそのような当時のユダヤ人の誰にでもわかるような「間違い」を意図的に行ったと考えられます。そこにこそヨハネのメッセージがあります。ヨハネは見えるようになった盲人に洗礼を受けた人の姿を投影したのだと思えるのです。それによって洗礼を受けることがどういうことなのか、またそれを受けた人がどのように生きるべきかをヨハネは信仰共同体に伝えたかったのです。
 「世の光(9:5)」といわれたキリストの洗礼を受けることは、闇の中にいた人が光の中に連れ出され、見えるようになることです。生まれつき、つまりそれまで人生の意味が見いだせずに生きてきた人がはじめて生きる意味を見い出したことといえるでしょう。そのあと、見えるようになった人は人びとの中であかしをしていくのです。けれども、見えるようになった人はいきなりすべてが見えるようになったわけではありません。最初の尋問においてイエスのいる所を聞かれても「知りません」としか答えられません。それが人びとにあかしを続けることによって、その人自身の信仰も成長していきます。最後には「あの方が神のもとから来られた(9:33)」と反対者たちに堂々とあかしするようになるのです。
 この受洗と信仰の成長の過程はまさにヨハネの信仰共同体に当てはまるものです。彼彼女らは受洗した後、たびたび会堂から追い出され、ファリサイ派の人びとから尋問されていました。そんな信仰の仲間にヨハネはその中でこそ、信仰は成長するのだと伝えたかったのでしょう。

 皆さんにも「シロアム」を「遣わされた者」と意味づけたヨハネの意図がわかってきたことと思います。「シロアム」当時「洗い」つまり「清め」の水場であった池は「洗礼」を表し、洗礼を受けた者はその場から、イエスによって「遣わされる者」となるのだ、ということです。しかも迫害の困難の中へと。けれどもその迫害こそが信仰を育てるのだということをヨハネは伝え、信仰共同体の仲間を励ましたかったのです。
 もしかしたら、ヨハネの共同体では当時の「シロアの池」で実際に洗礼を授けていたのかも知れません。だとしたら共同体の人びとはその池を「遣わされる者(受洗者)の池」と呼んでいたことでしょう。

3月15日のミサ(四旬節第3主日)

3月31日(火)までミサの中止および教会施設の閉鎖を延長します。今週も各自ご自宅などでお祈りいたしましょう。

第一朗読

出エジプト記(出エジプト17・3-7)

 〔その日、〕民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」

モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、主はモーセに言われた。

 「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」

 モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。

 

第二朗読

使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ5・1-2、5-8)

 〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

 

福音書

ヨハネによる福音(ヨハネ4・5-42)

 〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへとやって来た。

 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

 さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。

 

福音のメッセージ

「生きた水」

カトリック垂水教会担当司祭:林 和則

 ヨハネ福音書の特徴のひとつに、イエスと登場人物である個人や群衆また弟子たちとの間でのちぐはぐな会話があります。たとえば「イエスとニコデモ(3:1-21)」ではイエスが「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない(3:3)」と言ったのに対してニコデモは「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか(3:4)」と問いかけ、明らかに会話がかみ合っていません。群衆との間では、ヨハネの聖体論ともいえる「命のパン」をめぐるイエスの教え(6:22-59)におけるイエスのことば「わたしは命のパンである(6:48)」に対して「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか(6:52)」と互いに激しく議論し始める始末にさえなります。

 弟子たちに至っても、ラザロの死についてイエスが「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く(11:11)」と言ったのに対して「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう(11:12)」ととんちんかんな答えを返しています。

 このようなヨハネ福音における会話の行き違いを、亡くなられたイエズス会の小林稔神父様は「登場人物がイエスの二重の意味を持った言葉を聞いて、(イエスが)意図されたのとは別の意味で解すること、そのような(ヨハネ)福音書の著者の描写は「誤解のモチーフ」と呼ばれ、著者が話を別の次元に展開するための契機になっている(岩波書店「ヨハネ福音書のイエス」93頁より)」と説明されています。この「誤解のモチーフ」がもっとも効果的に使用され、すばらしい救いの物語になっているのが、今日の「サマリアの女」と呼ばれている福音です。

 他の紹介した箇所では誤解によって生じたイエスと登場人物たちとの断絶は埋められることなく、「命のパン」の箇所における群衆では「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか(6:60)」と言って、決定的な決別に至ります。けれども「サマリアの女」では最初は食い違っていた会話が次第に近づいてきて、最終的には「この方がメシア(4:29)」という信仰宣言に至り、その後この女性は宣教者となって自分の町のサマリア人たちにそれをあかしして、多くの人を救いへと導くのです(6:28-42)。

 小林神父様が書かれている「話を別の次元に展開する」の「別の次元への展開」とは「地上的、この世的な次元」から、「天上的、霊的な次元」への展開であると思います。イエスと人びととの誤解の原因は「視点」の違いにあると思います。イエスが「霊的」な視点に立っているのに対して、人びとは「この世的、物質的」視点に立っているといえます。

 「サマリアの女」においてそのポイントとなる誤解は「生きた水」ということばです。「生きた水」ということばは当時のユダヤでは「溜まり水でない、流れている新鮮な水」を意味しました。それは川であり、また湧き出る泉のことです。イエスが「あなたに生きた水を与えたことであろう(4:10)」と言われたのに対してサマリアの女は「あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか(4:11)」「ここにくみに来なくてもいいように、その水をください(4:15)」と答えます。

 実は女は次のようなことを言っていたのです。私の意訳です。

 「この井戸は湧き出る泉ではありません。溜まり水です。ですから、くむ物がなければくめません。しかも深いので、くむのにたいへん手間がかかります。ですから、そんな手間がかからない、くみ上げる必要のない、湧き出ている泉の場所をご存じでしたら、教えてください。そこにくみに行かせてください」

 サマリアの女はあくまでも、地上的な、目に見える現実世界の「生きた水」を求めているのです。そんな女にイエスは彼女の素性を当ててみせます。女はそれによってイエスが「預言者」ではないかという考えに導かれます。そこから女は「礼拝」という宗教的次元に開かれていきます。

 サマリア人とは北イスラエル王国の生き残りの人びとの子孫です。紀元前931年、ダビデ王が打ち立てた王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂します。南ユダ王国はダビデの血統に属し、エルサレムを首都とし、その地にあった神殿での礼拝を続けました。北イスラエル王国は後にサマリアを首都とし、エルサレムの神殿に対抗してゲリジム山に聖所を置き、そこで礼拝を続けました。

 サマリアの女が言う「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しました(4:20)」の「この山」がゲリジム山です。そして女性は「預言者」に対してゲリジム山とエルサレムの神殿とを対比して、どちらが本当の礼拝の場所であるのかと問いかけるのです(4:19)。

 それに対してイエスは「この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る(4:21)」とユダヤ人とサマリア人の対立の原因である両方の聖所での礼拝を否定します。そして「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない(4:24)」と新たな礼拝を指し示します。これによって女はイエスをメシアではないかと思い、イエスは「それは、あなたと話をしているこのわたしである」と答えます。ここにおいて、サマリアの女とイエスの会話が断絶から一致へと転換し得たのです。

 ここからわかることはイエスが言われる「生きた水」とは、霊と真理による「真実の礼拝」であったことがわかります。それをはっきりと言われているのが、この後のエルサレムにおけるイエスのことばです。そこではイエスがエルサレムの人びとに対して「大声で言われた」と書かれています。

 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる(7:37b―38)」

 つまりイエスのところに行って、イエスを信じることを通して、真実の礼拝が可能になり、それこそが「生きた水」であるということになります。そこにおいては、礼拝する人が「飲む」だけでなしに、その人の内から生きた水、すなわち「泉」が湧き出て、その人だけでなく、周囲の人びとをも潤おすということになるのです。

 そのようなイエスのもとでのもっともすばらしい礼拝こそが「ミサ」です。ミサに与ることによって、私たちは生きた水の豊かな、あふれかえるような流れに心も体も浸し、そして内から湧き出てくる泉によって、日々の生活の中で出会う人びとに生きた水を分け与えていくのです。

 *「サマリアの女」は女性差別の問題など社会的側面においても幅が広く、信仰的側面においても深い内容を持っています。私のメッセージはその一部分を語ったにすぎません。どうぞネットで「サマリアの女」で検索してみてください。数多くの解説がありますので、そちらも読んでみてください。