2026年1月18日 年間第2主日(A年)のミサ 説教の要約

《 神 の 小 羊 》

2nd Sunday A
2026.1.18ミサ説教

兄弟姉妹の皆さん、どうか忍耐と理解を願います。 少なくとも今日のミサは、その善を心の支えにしてください。もう1か月以上、洗礼者ヨハネの名を聞いています。今日も、福音で、 彼の名が挙がりました。ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。これは私が言った方である。 神の子である」 と。

イエスを理解するのに、洗礼者ヨハネの役割は非常に重要です。生涯の始まりから終わりまで、彼はただイエス・キリストの証人として、生きぬきました。自分の力によって、ユダヤ人たちも信じるために、 彼の宣教活動はユダヤ人にイエスのことを紹介する役割を果たしていました。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」と、洗礼者ヨハネは宣べ伝えました。

「神の子羊」という名で、洗礼者ヨハネはイエスを呼びました。その名を私たちはよく知っています。ご聖体を頂く前、その御名を唱えます。 ミサの中で神の小羊を唱えるとき、イエスのいけにえ、奉献、 十字架の犠牲を認識します。 神の小羊のおかげで、罪のゆるしと救いを手に入れます。それは旧約聖書の神の小羊に出来なかったことでしたが、人々は捧げるよう教えられていました。 イエスのいけにえ、奉献だけが癒しと和解をもたらすことが出来ます。

皆さんが知っているように、感謝の祭儀は聖なる犠牲・奉献とも呼ばれます。神の小羊についてです。ミサの中で、 イエスの奉献に参加し、自分も他の人々のための捧げものとなるよう招かれています。あなたが献金箱に入れるお金、あなたの歌、司祭の説教と御言葉を祈りながら聞くこと、そして聖体拝領の時の静かな祈りは、イエスの奉献に参加する方法であり、神の小さな小羊になるためのものです。 しかし、奉献はミサが終われば終わりではありません。むしろミサは、私たちが社会の中に入っても、奉献をし続けるよう促し、私たちを派遣してくれるのです。最後に、司祭は「平和の内に行きましょう、互いに愛し、仕えなさい」ということを忘れないようにしましょう。

具体的に言います。私たちはどのようにして神の小羊になれるのでしょうか。それには様々な方法があります。一つは小教区への参加です。どうすれば自分の教会に奉仕出来ますか。このように考えてみると、フランシスコ教皇様の言葉を思い出しました。教会について、彼はこう言いました。「閉じこもって自分の壁にしがみつく教会よりは、むしろ、外に出て通りを歩み、傷つき、泥にまみれた教会の方がいい。自分のことばかりを気にかけ、中心に居座ろうとする教会など、私は欲しくないのです。」簡単な言葉で言うと、亡くなられたフランシスコ教皇様の教会は、僕のようなものです。教会の最大の関心事は、信徒の幸せです。説教において、司祭は羊の匂いをまとった羊飼いであると言いました。

兄弟姉妹の皆さん、ここ数週間、私が考えてきたことを話させてください。私たちの小教区は、新しいリーダーを選出しなければならない時期に来ました。今のリーダーたちの任期はもうすぐ終了します。ですから、祈りを通して皆さんに協力してほしいと願っています。 主に祈りましょう。ご自身の心と魂を持つ人々、貧しい人々と教会のために真に尽くすリーダーを私たちの元に送ってくださるよう願いましょう。

林神父が新しい任務に移る前に、今のリーダーの皆さんの立ち会いのもとで、素晴らしい贈り物を残してくださったことに気づきました。リーダーの皆さんのおかげで、小教区管理もスムーズになり、感謝しています。

選ばれる方々にお願いがあります。どうか神の小羊の模範に従ってください。イエスの道・導きを信頼し、その歩みに身を委ねてください。

アーメン

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2026年1月11日 主の洗礼(A年)のミサ 説教の要約

《 洗 礼 や 宣 教 》

Baptism of Jesus 2025
2026.1.11ミサ説教

コミュニティがイエスの洗礼を記念し祝うために集まる時、私たちは皆、自分の洗礼について振り返る機会を与えられます。この洗礼によって、私たちはキリストと教会に属し、教会と世界におけるミッションを授かります。

今日、洗礼の秘跡について祈り、黙想し、理解するのに、私たちは第二朗読を用いましょう。使徒たちの宣教によりますと、「ヨハネが洗礼をのべ伝えた後、神は聖霊と力によってこの方、つまり、ナザレのイエスを油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべて癒されたのです。」ということです。ここでは、聖なる著者は、洗礼後にイエスが御父の愛される子としてのご自分のアイデンティティを悟り、宣教に出たとはっきり言っています。 洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは善行を始められました。それが彼のミッションです。洗礼の後は、ミッションがすぐに始まりました。

兄弟姉妹の皆さん、洗礼は、単に神の家族の一員になり、カトリック信者になるだけではありません。ミッションに派遣され、自分が属する教会や世界に対しての責任を持つことでもあります。自分が カトリックであり、垂水カトリック教会の信徒であるというアイデンティティを忘れていないと思います。 秘跡が必要なとき、それとも、礼拝の場所が必要な時、どこに行くべきかを知っています。残念ながら、私たちは自分たちの責任、すなわち洗礼の時に神から託された使命、ミッションをよく忘れてしまいます。

今の教皇様を、心から尊敬しています。すべての司祭にこのように書きました。「すべての司祭は、兄弟姉妹と同じように、自分が主の弟子であることを常に忘れてはなりません。」 司祭たちが、「シノドス的な教会」つまり、互いに耳を傾け、共に神の御心を識別し、すべての洗礼を受けたカトリック信者が教会の使命を果たすために、何かがあることを認める教会を作ることに力を入れてもらいたいと教皇様は主張しました。 もう一度最後の文書を言います。すべての洗礼を受けたカトリック信者が教会の使命を果たすために、何かがあることを認めます。カトリック信者を宣教に派遣するのは主任司祭ではなく、あなたの洗礼です。

去年の12月30日に、大学生と高校生が信徒会館に集まりしました。18人の学生さんが出席しました。私と何人かの教会のリーダたちは彼らを温かく歓迎しました。 彼らが教会にいるのを見ると本当に喜んでいます。なぜなら、学校がある日は、彼らは教会に来ることができないからです。 歓迎の挨拶で、私はこう言いました。「ここは皆さんの教会であり、皆さんのコミュニティです。皆さんはいつでもここで歓迎されます。教会はいつも皆さんを待っているということを忘れないでください。この教会には皆さんの居場所があります。教会は皆さんを必要としています。」 と。

兄弟姉妹の皆さん、既に洗礼を受けました。もう神の子供になり、教会のメンバーになりました。けれども、 交わり、参加、そして宣教は、カトリック信者の心の中に、奉仕し、自分の時間や才能、持ち物を捧げ、教会活動に参加しようとする気がなければ達成できません。 シノドス的な教会では 、なすべきことはまだたくさんあります。 私たちは、地上の道、貧困と悲惨という暗い路地を通り、キリストの光を運ぶ必要があります。

天の父よ、私たちに託されたミッションを成し遂げる勇気と力をお与えください。

アーメン。

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2026年1月4日 主の公現(A年)のミサ 説教の要約

《 私たちを飼い葉桶へと導く 》

Epiphany A
2026.1.4ミサ説教

兄弟姉妹の皆さん、イエスの誕生の話を読むと、生まれたばかりの赤ん坊を訪ねてきた特別な二つのグループがあることに気づくでしょう。羊飼いたちと、東方からの博士たちでした。神の母聖マリア祭日の福音は、羊飼いたちの訪問についてです。今日、マタイ福音書から、東方からの博士たちが幼子を訪れたことを聞きました。なぜ彼らの訪問を祝いますか。何か特別な理由がありますか。

あの暗い夜に主の天使が羊飼いたちに現れて、イエスの降誕について告げました。その啓示は神からの直接的で、超自然的な示唆でした。私たちは簡単にそれを理解して、受け入れることが出来ます。天使は確かに現れます。一方、東方の博士たちは星を観察することでイエスの誕生を知りました。星は彼らに何も話しませんでした。博士たちは自然崇拝者であり、星の動きを読み取り、それが何を意味し、どこへ導くのかを学ぶ人々だったことを思い起こしてみましょう。 彼らは星を見守る人たち、占星術師でした。

マタイ福音著者によると、ヘロデ王と民の祭司長たちや律法学者たちは聖書を読んで、生まれたばかりの王のことを知りました。羊飼いたちと東方からの博士たちとヘロデ王は、それぞれイエスの真実を知る手がかりを持っていました。彼らの知識はビジォン、幻、聖書、人々、そして星などを通してもたらされました。

兄弟姉妹の皆さんはどのように知りましたか。どのようにして生まれたばかりのイエスを知ったのかという質問は、もはや重要ではないと思います。あなたがたはすでに彼を知っています。 羊飼いたちと博士たちは赤ん坊の御顔を見て、拝み、自分たちのいた場所へ喜んで帰りました。ヘロデ王と彼の仲間たちはイエスのことを知りましたが、見ることが出来ませんでした。 私たちが自問しなければならないのは、どうすれば幼子の飼い葉桶にたどり着くのかということです。何が私たちを彼の元へと導いてくれるのでしょうか。それが重要なことです。一番大事なのは、私たちが幼子の飼い葉桶にたどりつくことなのです。

博士たちのように、私たちも星を見守り、その光と導きに従うことです。何よりもまず、この幼子の飼い葉桶に導いてくれる星は神に属する全てのことです。それは神の掟、御心、聖書、そしてイエス・キリストが言われたすべての教えかもしれません。 イエスが弟子たちに言われたように、御言葉は真実であり、ご自分を信じる者はたとえ死んでも永遠に生きるということです。この間、教皇様はこう言いました。「神の呼びかけに従うことを恐れないでください。」 と。

この星は、おそらく教会に関するあらゆることを指しているのでしょう。成長したあの幼子はこの教会を築き、人々を再びご自分の元へ導く使命を託しました。教会は創立者であるイエスの御言葉と教えを説明する権威です。秘跡があり、それが恵みの源です。ご聖体は魂の食べ物です。ゆるしの秘跡は傷ついた魂を清め、癒します。 神の目に見える道具として、教会は神の民と共に永遠に旅を続けます。

最後に、星は私たちの善行、奉仕、そして思いやりのある態度かもしれません。私たちは不完全かもしれませんが、心をよく見つめ直せば、善いことをしたい、生活で困っている人々に手を差し伸べ、貧し人に何かを与え、孤独で見捨てられた人に寄り添い、才能や時間を分かち合い、他者の物語や経験を裁くことなく聞くという傾向があることに気づくでしょう。 正直言って、私たちは心の奥底で、誰かの役に立ちたいと願っています。より良い社会のために犠牲を払い、他の人々と一つになりたいと思っています。

兄弟姉妹の皆さん、間違いなく、私たちの善行、謙遜な奉仕、そして思いやりのある態度が、幼子イエスの元へと導いてくれます。天にある星の導きに従って、歩みましょう。

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1月のミサ予定

《1月ミサ予定》 主日10:00〜
January Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

1月1日(木)   神の母聖マリア Fr. アマド
Solemnity of Mary, Mother of God Fr. Amado

1月4日(日)  主の公現 Fr. アマド
ミサの中で二十歳の祝福式
The Epiphany of the Lord
Celebration of Coming of Age Fr. Amado

1月11日(日) 主の洗礼 Fr. アマド
Baptism of the Lord Fr.Amado

1月18日(日) 年間第2主日 Fr. アマド
2nd Ordinary Sunday Fr.Amado

1月25日(日) 年間第3主日 Fr. 中川
3rd Ordinary Sunday Fr.Nakagawa

2025年12月21日 待降節第4主日(A年)のミサ 説教の要約

《 そ の 名 》
th Sunday Advent A
2025.12.21ミサ説教

今日、私たちは待降節の最終日曜日を迎えています。すべての待降節の蝋燭は、既に灯されています。典礼はクリスマスが近づいてきて、神はすぐそばにおられると言っています。

マタイ福音書の中には「主の天使が夢に現れて言った。ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」と書いてあります。

その前に、主の御使いが、ザカリアという洗礼者のヨハネの父親に言いました「恐れることはない」と。昨日の福音書の中で、天使ガブリエルはおとめマリアに、「おめでとう、恵まれた方。神があなたと共におられる。恐れることはない。」と挨拶しました。クリスマスの前夜の福音の中で、主の天使が非常に恐れた羊飼いたちに告げました。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。」と。「おそれるな。」という言葉は何度も繰り返し、新約聖書に出てきました。そのため、その言葉の大切さを疑う必要はありません。あるいは、恐れる理由は十分ではないのでしょうか。

2か月前、一人のフィリピン女性が私に、「神父様、祈りが私たちの国の腐敗を解決できると信じますか」と尋ねました。 彼女がなぜそう尋ねたのか、私にはわかっています。きっと、彼女はフィリピンにはあまりにも多くの腐敗があり、それを止めるために私たちにできることは何もないと感じていたのでしょう。選出された公務員・政治家・国のリーダーたちの多くは、全員でなくとも、すでにその過ちを犯しています。もっと悪いことに、彼らは手出しできない存 在のように見えます。

確かに、彼女は、祈りは状況を変えるのに何もできないと思ったのでしょう。彼女の恐れには理由があります。本当に、私の国は暗闇の内に陥っています。状況は深刻です。彼女の質問は、私に立ち止まって国の現在の出来事について考えさせました。日本も、多分、同じ質問を考えられるかもしれません。今、日本で起きているすべての事態を考えると、私たちの国はどうなってしまうのでしょうか。物価が絶えず上昇し、お米が不足し、自然災害や人材不足なども見られます。将来に不安を感じて、パニックになりそうです。未来は希望がないように思えます。私たちは何を心配しているのでしょうか。何が起きるのでしょうか。私たちには未来がどうなるかわかりません。何よりもまず、私たちは闇に包まれています。

「恐れることはない。」と天使ガブリエルは私たちを安心させ、「生まれる子の名はインマヌエル、すなわち、神は我々と共におられる」という意味であると言います。天使のメッセージは、私たちの希望です。

暗闇の中にあっても、「光は見い出される」と天使は私たちを確信させてくれます。そして、その光はインマヌエルで、神は我々と共におられると言う名の意味です。その名前は、彼が遠く離れることなく、私たちと共にいてくださり、すぐそばにおられ、近さ、その親密さという約束です。それは、主が私たちに心に留めてほしいと考えていること、すなわち、主は私たちの近くにおられるという主のメッセージです。別の言葉で、言えば、私たちは一人で旅をしているのではなく、思いやりと慈しみ深い神と共に歩んでいます。

兄弟姉妹の皆さん、闇に包まれ、孤独で、弱く、心細く、不安を感じるかもしれません。けれども、本日の聖書朗読はおとめマリアの子、つまりインマヌエルについて語っており、それは大きな慰めになります。インマヌエルの中に、私たちは共に旅をする仲間を見い出します。その方は私たちが握りしめることのできる温かい手を持ち、寄り添って泣くことのできる肩を持ち、裁くことなく耳を傾け、知恵と慰めを語る口を持ち、そして、時には困難に挑戦する勇気を与えてくれます。そして、すべてを理解し、許してくださる心をもっています。

兄弟姉妹の皆さん、インマヌエルは、私たちの恐怖を取り除くのではなく、そのすべての中で一緒に歩んでくださいます。暗闇の内にいる人々にはインマヌエルが必要です。いつも一緒におられ、力と支えを与えくださるからです。

2025年12月7日 待降節第2主日(A年)のミサ 説教の要約

《 片 付 け 》
2nd Advent A
2025.12.7ミサ説教

私の子どものころの思い出です。ある日、父が仕事から帰ってきて家に入ったとたんに言いました。「汚い。何で物がめちゃくちゃに散乱しているんだ。」と。母をはじめ、姉と私はやっていることをやめて、家の中のものを片づけ始めました。父は汚い散らかった家が我慢できませんでした。見ると、すぐ不平を言い出しました。母は姉と私に、「朝、起きたら、まず、自分のベッドを片づけるように」と言いました。本当に、家庭、家族は子どもたちにとって、最初の学習環境です。

さて、垂水教会での、ある日の午後のことです。近所の子どもたちが教会のグランドで遊んでいるの見て、私は彼らの方に近づきました。すると、一人の男の子が友達にお菓子を配って、また、お菓子の紙を集めたのが見えました。日本人にとって、清潔さは大切です。それは幼い頃から教えられます。子どもたちは定期的に手を洗い、ゴミはゴミ箱に捨て、借りた場所を去る前に、そこをきれいにするように教えられます。

スポーツの試合が終わった後、あなた方がスタジアムを去る前に、自分の場所を掃除している姿を世界が何度も見ました。世界中の人々があなた方の行いを見、褒め、感銘を受けました。

兄弟姉妹の皆さん、くさい臭いがするので、私たちはきたない人たちから離れようとします。その人たちの臭いや見た目が我慢できません。

待降節の第二の日曜日の福音は洗礼者のヨハネについて語っています。

福音によりますと、彼は水のない場所、つまり、荒れ野に住んでいました。彼の服はラクダの毛と革のベルトで出来ていました。彼のライフスタイルは禁欲的でした。彼のメッセージは悔い改めだったということです。すなわち、「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と。予言者イザヤは彼についてこのように話しました。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために荒れ地に広い道を通せ。」と。彼の方に誰が勇気をもって近づくのかが私にはよくわかりません。

動物の皮で作った服を着て、水が不足している場所に住んでいる男性の臭いを嗅いでみますか。

もしも、洗礼者ヨハネの臭いや見た目が我慢できないとしても、彼のメッセージには耳を傾けるべきものです。洗礼者はこのように宣言しました。「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と。悔い改めることは彼の明確なメッセージでした。私たちは何度も繰り返しそれを聞きました。よくそれを知っています。しかし、今回は、悔い改めは二つの点で理解しましょう。まず、散らかった物を片づけなさい。自分の汚れは自分で掃除すると言う点で理解しましょう。罪を犯すと、人生がめちゃくちゃになります。罪はめちゃくちゃです。罪は乱れです。「悔い改めよ、天の国は近づいた。」と洗礼者ヨハネは宣言した時に、それは回心し、魂を清め、正しい生活を送り、罪から自分を解放し、神の元に立ち帰るという意味です。自分の部屋を掃除するとき、私たちはごみをカーペットの下に隠すのではなく、むしろ、捨てます。というのは天の国は近づいたからです。主が来られるからです。私たちは主の来臨に備える必要があります。めちゃくちゃになったものを片づけると、他の物のためのスペースが出来ます。私たちは人々を家に迎え入れることが出来ます。悔い改めると、私たちは神に人生のスペース、場所、空間を与えています。神を歓迎します。第二朗読では、パウロは人々が調和して生きるよう促しています。彼は、クリスチャンが必ず皆同じではないことを知っています。文化、思い、宗教、性格、などという違いがあると認識しています。しかし、彼は彼らが一致して生き、一緒に神を賛美する声をあげるよう強く進めています。一致ということは、皆が同じだということではありません。一致は皆が互いに、歓迎し合い、許し合い、理解し合い、尊敬し合い、愛し合うことです。一致は相手に対して、心を開くというイエスの模範に倣い、従うことなのです。

兄弟姉妹の皆さん、このパウロの言葉・教えによって、私たちは悔い改めのもう一つの意味を学べます。それは他者を受け入れ、互いを認め、理解し、許し合い、温かく歓迎し、和解し、正しい関係に向かって、他者の方へ歩みよると意味します。主の降臨の準備をしながら、洗礼者ヨハネの声に耳を傾けましょう。

自分の家に帰ってきたら、散らかっているものを片づけて、イエスと他の人々のために、場所を空けましょう。

 

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12月のミサ予定

《12月ミサ予定》 主日10:00〜
December Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

12月7日(日) 待降節第2主日 Fr. アマド
2nd Sunday of Advent Fr.Amado

12月8日(月)  無原罪の聖母マリア Fr. アマド
Immaculate Conception of Mary Fr.Amado

12月14日(日)  待降節第3主日 Fr. 中川
3rd Sunday of Advent Fr.Nakagawa

12月21日(日)  待降節第4主日 Fr. アマド
4th Sunday of Advent Fr.Amado

14:00〜19:00頃 中高生会合同 クリスマスの集い 信徒会館にて
From 2:00 pm to 7:00 pm A Joint Christmas Gathering of Junior and Senior High School students organized by Kobe District and hosted by Tarumi Catholic Church.

12月24日(水) 
17:00 子どもたちによる聖劇
18:00 主の降誕 夜半のミサ Fr. アマド
ミサ後 信徒会館にて おぜんざい と ホットワインなどのお飲み物をご用意しています。

·5:00 p.m. – Play about the Nativity will be performed by Members of Kodomo Kai.
·6:00 p.m. – Christmas Vigil Mass Fr. Amado
·After the mass, zensai, hot wine and other beverages will be served at the parish hall.

12月25日(木)  
10:00 主の降誕 日中のミサ Fr.アマド
Christmas Mass Fr. Amado

12月28日(日)  聖家族 Fr. 中川
11:30  聖母マリアに捧げる感謝のコンサート
Feast of the Holy Family Fr.Nakagawa
11:30 a.m – A Thanksgiving Concert Dedicated to the Virgin Mary.

12月30日(火)
18:00 大学生と高校生とアマド神父様との集まり
6:00 p.m. – University and High Students’ Christmas Get-together.

12月31日(水)
18:00 タガログ語による感謝のミサ Fr. アマド
6:00 p.m. – Thanksgiving Mass in Tagalog. Fr. Amado

2026年 1月

1月1日(木)   神の母聖マリア Fr. アマド
Solemnity of Mary, Mother of God Fr. Amado

1月4日(日)  主の公現 Fr. アマド
ミサの中で二十歳の祝福式
The Epiphany of the Lord Fr. Amado

2025年11月16日 年間33主日(C年)のミサ 説教の要約

《 最後まで、忍耐をもって 》
33rd Sunday C
2025.11.16ミサ説教

ある日のことです。「大変ですね」と一人の信徒が言いました。「何のことですか」と私は答え尋ねました。「昨日の夜ニュースによると、スーパー台風があなたの国に上陸して、大雨と猛烈な風をもたらしました。高い波が多くの家屋を飲み込み、橋が崩落し、激しい洪水が家屋や建物の中に入り込んだということです。自然災害がつぎからつぎへと起こりました。」と信徒は言いました。その日のテレビで、信徒が話題にしていたニュースが何度も繰り返し放送されました。信徒の愛情深い言葉は、私にとって慰めになりました。フィリッピンで起こった多くの自然災害の被害者の人々が、本当にかわいそうです。
実際に、そのようなニュースは非常に恐ろしいです。皆さんは世界の終わりを恐れていますか。あるいは、この訊き方にしましょうか。あなたがたは、世界が崩落していると感じていますか。そして、神はどこにおられるのだろうと考えていますか。人々が神殿の素晴らしさや美しさを見て話していた時、イエスは神殿の完全な破壊について話しています。話の途中で、イエスは、戦争、迫害、暴力、そして、親しい関係の中で分裂や対立について話し始めています。これは本当に怖いです。このような状況下で、どうすれば普通の生活を送れるでしょうか。争いのために、自分の親しい人々と離ればなれになりたい人はいるでしょうか。これは本当にひどい
ことです。
災害や分裂は、私たちの命を脅かす可能性があります。それらは日常生活や習慣を乱し、私たちの土台を揺るがし、自分の限界や弱さを意識させます。また、心の安らぎや穏やかさを取り除いてしまうこともあります。
このような時、信仰を捨ててしまう人々がいます。残念なことです。信仰を守り生きるための戦いは、確かなことであり、大きな挑戦です。
兄弟姉妹の皆さん、人生の課題が重すぎると感じる時、命が脅かされているとき、諦めて課題に降伏したくなる時、このような時こそイエスの言葉を思い出すべきです。「あなた方の髪の毛の一本も決してなくならない 。忍耐によって、あなた方は命を勝ち取りなさい。」と。忍耐心によって 、永遠の命・救いを得るのです。

ある日曜日の朝、私は吹田教会へ向かう途中、ちょうど教会から出てき たばかりの年配の女性に会いました。立ち止まって挨拶をしました。明らかに、彼女は歩行に問題を抱えていました。足がむくんでいたのです。非 常に悪いです。彼女は私に、高齢と悪い足のせいで、教会から離れること になるかもしれないと話してくれました。でも、彼女はそうなることを望 んでいませんでした。だから、困難なときにさえ、毎週日曜日に、教会へ 行こうと精一杯努力していたのです。私は彼女の信仰に感心しています。

彼女の存在は、彼女の信仰と忍耐の証です。このような困難な時こそ、私 たちは世界や周りの人々に自分たちの信仰を示すことが出来ます。このような苦しい時、辛い時であっても、私たちが善行をし続けることを希望します。

 

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被昇天の聖母 カトリック 垂水教会