2025年度子ども会が始まりました。
お祈りから始まり、新しいお友達を迎え、自己紹介をしました。
ヴィンセンシオ・ア・パウロの愛徳協議会(AIC)の活動の一貫として綿花の栽培について教えていただき、種もわけていただきました。
ぜひ、各家庭で育ててみたいと思います。
続いては毎年恒例エッグハントです。
中高生にタマゴを隠してもらいみんなで探しました。
それぞれ景品ももらい楽しい1日でしたね。
今年度も充実した子ども会が行えるよう頑張っていきたいと思います。
2025年度子ども会が始まりました。
お祈りから始まり、新しいお友達を迎え、自己紹介をしました。
ヴィンセンシオ・ア・パウロの愛徳協議会(AIC)の活動の一貫として綿花の栽培について教えていただき、種もわけていただきました。
ぜひ、各家庭で育ててみたいと思います。
続いては毎年恒例エッグハントです。
中高生にタマゴを隠してもらいみんなで探しました。
それぞれ景品ももらい楽しい1日でしたね。
今年度も充実した子ども会が行えるよう頑張っていきたいと思います。
《5月ミサ予定》 主日10:00〜
May Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)
5月4日(日) 復活節第3主日 Fr. アマド
3rd Sunday of Easter Fr. Amado
5月11日(日) 復活節第4主日 Fr. アマド
4th Sunday of Easter Fr. Amado
5月18日(日) 復活節第5主日 Fr. アマド
5th Sunday of Easter Fr. Amado
5月25日(日) 復活節第6主日 Fr. 中川
子どもとともに捧げるミサ
6th Sunday of Easter Fr.Nakagawa
children’s mass
〈 教皇様追悼ミサのご案内 〉
教皇フランシスコのご帰天に際して、垂水教会では、4月22日(火)〜4月25日(金) 7時30分からの朝ミサ において、追悼ミサをお捧げします。
また、4月29日(火)15時から、大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂にて、前田万葉大司教・酒井俊弘司教の共同司式による、教区 追悼ミサが行われます。
司教座聖堂(玉造教会)では、教皇の永遠の安息のためにお祈りできる場を設けています。
23日から29日まで、どなたでも献花・記帳いただけます。
パウロの部屋(時間:8時から20時)記帳台・献花台
詳しくは大阪高松大司教区HPをご覧ください。
教皇フランシスコの永遠の安息をお祈りいたします
《 主が取り去られた 》
Easter Sunday 2025
あなたはおそらく、自分に近い人を失うことの感情や影響をよく知っています。もし、そうではないなら、それは、マグダラのマリアの経験から学ぶことができると思います。
マグダラのマリアは弟子たちに知らせました。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちにはわかりません」と。マグダラのマリアの言葉で、イエスがいらっしゃらないような状況に入るように彼女は私たちを招いています 。マグダラのマリアはイエスを愛していました。マグダラのマリアが墓から石が取りのけてあるのを見て、空っぽの墓、つまり、イエスがいなかったことをみて、そして、すぐに、誰かがイエスの遺体を盗みに来たと思ったので、大変困っていたとヨハネははっきり言いませんでした。
もし神がそこにいなければ、混乱が起こります。悲しみます。心細くなります。絶望に陥ります。重い暗闇がすべてを覆うと彼女の経験は明らかに私たちに言っています。
弟子たちが墓の中で何を見たのかをヨハネは私たちに話しました。 マグダラのマリアは取りのけた石や空の墓を見ました。 すなわち、墓の中にはイエスがいませんでした。ペトロとイエスが愛しておられた弟子であるヨハネは置いてあった亜麻布を見ました。彼らのすべての見たものはイエスが復活されたという真実につながっています。そこには復活のしるしが沢山ありました。けれども、残念なことに、彼らはそれを理解することができませんでした。「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」と 言い換えれば、イエスとご自身の言葉を理解することによって、希望が出てくるのです。
数年前、母が静かにこの世を去って行きました。 彼女は糖尿病でした。 彼女は電話で私に言いました。 「私は死を恐れていません。 あなたとあなたの姉はもう大丈夫だと思います。 孫たちは大学を卒業して、仕事をもしています。 だから、大丈夫です。」と。 母はすべての兄弟姉妹とお別れの挨拶をした後、亡くなりました。 私たちの中に新たな希望が生まれました。 彼女のわずかな言葉で十分です。 何も失われていないことはわかっていました。 もちろん、母親のように最愛の人の死を受け入れるのは簡単なことではありませんでした。母はかけがえのない人です。言葉はよく聞き、理解する必要があります。 身近な人が 亡くなると、私たちは苦しみます。 私たちは、その人が地上で何をしたのかを思い出したほうがいいと思います。それは私たちの助けになると思います。
イエスはどんな方でしょうか? 地上で何をしましたか? 何と言いましたか。 福音によると、彼らが理解していなかったということです。 これが弟子たちの問題です。 私たちはイエスを知っていますし、彼が私たちのために何をしてくださったかも知っています。 彼の言葉と人生を振り返ることは、きっと私たちに希望をもたらすでしょう。 彼の言葉と行動は私たちの希望です。
兄弟姉妹の皆さん、希望は贈り物であり、同時に責任です。ひとたび祈りをやめると、希望を捨ててしまいます。ひとたび神の存在のしるしを見て、理解できないと、私たちは大変なことになります。ひとたび私たちの教会に人を連れてこないと、私たちは教会の終わりを見るでしょう。 きっと、あなた方はそれを望まないだろうと気づかせてください。では、 これからもイエスを囲んで集まり続けましょう。
《 聖土曜日:お通夜 》
Black Saturday 2025
日本に戻って来て、私が気づいたのは、あなた方がお通夜式を行わなくなったことです。多分、通夜式を行わない理由はパンデミックの影響があるかもしれません。しかし、その時代は既に終わったでしょう。今は ポストパンデミックの時代です。 恐れなしであらゆるところに集まることが出来ます。
お通夜の時に、何をしていますか?言うまでもなく、私たちが夜、教会に、死者を祈り、記念するために、集まります。 一言で、死者の人生を要約します。私たちにとって、それは死者の遺産です。私たちへの貢献です。このようにして、その人の人生を深く理解するようになります。実は、納骨式の時にも同じことをします。
兄弟姉妹の皆さん、イエスの復活を待ち望んでいるように、そのように聖土曜日を過ごすべきではないでしょうか?聖土曜日に、教会は静かです。教会活動はありません。私たちはイエスのお墓に立ち、イエスの力強い言葉と神秘的な行動を心に集め、そして、より深く理解するのに、イエスの記憶をすべて結びつけるよう心掛けています。
聖土曜日には、信仰はイエスが死者と共におられたことを教えてくれます。
聖土曜日の夜、復活の聖なる徹夜祭が行われます。教会堂内部は消灯します。暗闇の中でミサが始まります。きっと、これは、イエスの母であるマリアと弟子たち、特にまだ暗いうちにイエスの遺体に香料を塗るために早く墓に行った女性たちの気持ちだったではないでしょうか。
兄弟姉妹の皆さん、良い知らせは私たちの外であろうと内側であろうと、世界で最も暗い場所でさえ、神を見つけることができるということです。神の存在を感じなくても、神はここにいます。もしも、神を探し求めるとしたら、絶対に、今日の福音の婦人たちのように、神のきらきら光っている姿を見つけるでしょう。「輝く衣を着た二人の人は婦人たちに言いました。なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」この出来事のおかげで、婦人たちは変わって、急いで弟子たちに墓での見たことを述べ伝えました。
聖土曜日のはっきりしたメッセージは地球の最も暗い場所にさえ神の存在を見つけることができるということです。例と言えば、 戦場、 悲惨なところ、 寂しい家、病院などがあります。これは希望です。復活の私たちへの贈り物は希望です。神は最も弱い瞬間に私たちを決して見捨てません。復活イエスは暗闇の中から私たちを取り出してくださいます。
最後には善が勝ちます。 悪は倒れます。愛がすべてに打ち勝ちます。正しい人は永遠に生きます。偽りのない人は自由さを見つけます。信頼する者は愛されます。 奉仕する者は奉仕されます。 赦す人は赦されます。忠実な人は天の国に入りますという希望を復活は私たちに求めています。
ご復活 おめでとうございます❣️
アマド神父さん、荘田氏の了解を得ましたので、 かつての 垂水教会 聖歌隊指導者でいらした、荘田 作 先生のCD・『心のうた』から、ご復活の季節にふさわしい数曲を教会HPにあげさせて頂きます。 どうぞお聴きください。
https://youtu.be/owqGtJ7eGsU?si=e8uLIlo2dz6hB_DU
水野源三の詩による独唱・朗読のための歌曲集
「こんな美しい朝に」〈 Ⅰ 〉より
朗読:浦山弘三
⚫︎今日一日が始まる
⚫︎こんな美しい朝に
⚫︎主よ、み手のその傷は
⚫︎わが心に
⚫︎天つ御国へ
⚫︎主から受けし
(18:01分)
《 静寂の音 》
Palm Sunday 2025
静寂の音というサイモンとガーファンクルの歌を私たちは皆知っています。世界的で、とても有名な歌です。 そして、昨シーズンの鍵山雄馬のショートプログラムの曲です。 曲はこんな感じです。 「こんにちは、暗闇さん、私の古い友達。また君と話をしに来たよ。幻想がそうっと忍び寄っているからだよ。僕が寝ている間に種を残して行ったんだ。そして、僕の頭の中に植えられた幻想は静寂の音の中にまだ残っている。」この曲をよく知っているでしょう。「静寂に聞け。それは話す」という アメリカのとても古いことわざがあります。静寂の音が聞こえますか?
私たちの多くは、沈黙の時に何をするのかがわからないので、心が落ち着きません。そして、私たちの今のライフスタイルにも関係があると思います。いつも忙しくて急いで動いています。 頭がいろいろなことで悩んでいます。私たちはまるで、マルタというマリアとラザロの兄弟姉妹のようです。かくして、 沈黙の中で私たちの心が落ち着きません。
枝の主日に、イエスが仔ろばに乗って、エルサレムに入城して、そして、人々は枝を切って道に敷いたことを私たちは思い出します。群衆は叫びました。 “ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高き所にホサナ!” (マタイ 21:6-11) その時の雰囲気はお祭りのようでした。 人々は希望に満ちていました。
しかし、私の目が3つの聖書朗読の静寂に留まりました。 沢山の暴力、苦しみ、悪、死があったのに、なぜ沈黙があるのだろうか。 イザヤの予言はこのように書きました「私は逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。」と
イザヤのその預言は、イエスにとって真実となりました。そして、聖パウロはそれについて話しました。それは何という愚かさでしょう。 神は私たちのようになって、 そして、ご自分の息子が名誉なく死ぬことを許されました。また、ピラトの前にいらっしゃったときに、イエスは屈辱を受け、嘲笑され、厳しく挑戦されました。 十字架の上で、人々はイエスを嘲笑しました。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして、十字架から下りて来い。 他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から下りるがいい。そうすれば、信じてやろう。」と
イエスはどのように人々の嘲笑に反応しましたか? 反論はありません。 カウンターチャレンジはありません。 会話はありません。 沈黙が 彼の応答でした。 ピラトとヘロデの前では、 彼は 沈黙していました。 イエスは沈黙のうちにこの世を去って行きました。 悪、不正、死に直面して、私たちは神に何を期待しますか? これらの中で神はどこにおられるのでしょうか。
イエスの静寂は本当に理解しにくいことです。彼は告発者に答えることができたが、黙っていました。 彼の沈黙は、彼が弟子たちへの言葉、つまりご自分が多くの苦しみを受け、死に、そして、三日目に復活することになることを私たちに思い出させます。
兄弟姉妹の皆さん、私たちはイエスの静寂を完全に理解することが出来ないのです。 しかし、沈黙は神が私たちの心に語りかける場所であることを忘れないようにしましょう。 そして、もし私たちが使徒職を真剣に受け止めるなら、沈黙の大切さを理解し、それを実践しなければなりません。
最後に、何かが間違って、それが続けてはならないとわかったときに、沈黙を破り、話すのは全然大丈夫です。 不正と悪に直面して、応答としての沈黙が効果的ではないとき、私たちは話す必要があります。
〈4月ミサ予定 主日10:00〜〉
April Mass Schedule Lord’s day (Japanese)
4月6日(日) 四旬節第5主日
5th Sunday of Lent
4月13日(日) 受難の主日 枝の主日
Palm Sunday
4月17日(木) 聖木曜日 19:00〜
主の晩餐の夕べのミサ 洗足式
The Lord’s Supper
4月18日(金) 聖金曜日 15:00〜 主の受難
The Passion of Our Lord
…ミサ後に十字架の道行
…Stations of the Cross after Mass
4月19日(土) 聖土曜日 19:00〜
復活の聖なる徹夜祭
Easter Vigil
4月20日(日) 復活の主日 洗礼式
Easter Sunday
4月27日(日) 復活節第2主日 神のいつくしみの主日(Fr. 中川)
2nd Sunday of Easter Sunday of Divine Mercy
《 新しいことを私は 》
5th Sunday Year C
兄弟姉妹の皆さん、本当に、春が来ました。感じていますか?今日はお花見日和ですね。
春は新たな始まりの季節です。 新卒生は就職し、歓迎されます。新入生は、選んだ学習環境で入学式に出席しました。 明日から新学期が始まります。「あんぱん」という新しいNHK朝ドラは先週の月曜に始まりました。面白そうです。野球の試合も始まったばかりです。 私たちの周りの世界はほとんど、花が咲き、鳥がさえずり、蜂のブンブンという羽音で生き返り始めます。 何か新しいものがあることを私たちの周りは話しているようです。
ここには、新しいものよりも古いものを好む人はいますか? 多分、私たちの年配の兄弟姉妹は、古い歌や古いやり方が好きかもしれません。 パンデミックの前の生活に戻りたいと思っている人はまだいると思います。 困難の時、人々はすぐに古き良き時代を振り返ります。過去のことを思い出す事は何も悪いことではありません。実は、効果的です。しかし、長くしない方がいいです。さもないと、現実逃避になります。現実に直面したくないのです。新しい現実を受け入れ、その良さを認識することが挑戦なのかもしれません。
兄弟姉妹の皆さん、新しいことの点から今日の聖書朗読を理解しましょう。「見よ、新しいことを私は行う」イザヤの予言はこのように書き、その言葉を説明します。「私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬や駝鳥も私をあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、私の選んだ民に水を飲ませるからだ。」神はご自分の選ばれた民のために何か新しいことをなさり、現在もそれをなさっています。私たちはそれを信じなければなりません。
聖パウロにとっては、キリストを知ることは古い道を捨てて、新しい人生を始めることです。 それは回心し、キリストを信じるということです。回心の道とは、新しい価値観で、新しいライフスタイルで、新しい行動で、新しい人生ということです。キリストを得ることは新しい命を得ることです。永遠の命につながっています。
福音書はヨハネ福音著者から取られています。 姦通の現場で捕らえられた女の話です。人々はイエスの方にその女を連れて行きました。彼らはイエスに言いました。 「先生、この女は姦通をしているときに、捕まりました。」彼らはその女性を非難しただけでなく、イエスを試そうとしたのです。 彼らの心の中には悪の傾きがありました。それに対して、「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」とイエスは言われました。集まっていた人々はだんだんといなくなり、最後はだれもいなくなりました。しばらくして、イエスはその女に言われました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してならない。」と。女に慈しみをお示しになりました。
ここでイエスは私たちに新しい行動、新しい態度、罪人への新しいアプローチを示されています。それは慈しみ、広い心です。慈しみは許す覚悟で、 罪人が回心できることを確認する力です。私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさいという新しい掟をイエスは最後の晩餐の時、弟子たちに伝えました。
この四旬節の時に、私たちは古い道、罪深い道を捨てて、キリストの示された新しさを受け入れましょう。もしも、私たちが本物の信徒なら、人生で間違いをした人々に対する思いやりは私たちが示すべき態度です。彼らを許します。私たちは、彼らが新たなスタートをする能力を信じています。 私たちは誰も非難せず、むしろ弱い人々に助けの手を差し伸べます。
この聖年にあたり、困難な時に神が私たちの力と慰めとなり、私たちのために何か新しいことをしてくださり、 道を開いてくださると願っています。
6月22(日) 10時〜 キリストの聖体の祭日ミサの中で、初聖体式を予定しています。
秘跡を受けるための勉強会を始めます。
新小学3年生以上の受洗者で、ご希望の方は、4月20日までに、子ども会 または 垂水教会事務所にお申し出ください。
〈 Invitation of First Communion and a study session 〉
It is planning to hold a First Communion ceremony on Sunday, June 22nd from 10 am.
As a requirement a study session about the sacrament is given to candidates.
Open to all baptized Catholics who haven’t received the Holy Sacrament yet, third grader and above from April.
For more inquiries please visit the Tarumi church office by April 20th.