「垂水教会一般」カテゴリーアーカイブ

主に垂水教会内での情報

2025年11月2日 死者の日(C年)のミサ 説教の要約

《 神の手で 》

All Souls Day 2025
2025.11.2ミサ説教

このミサの中で、私たちはすでになくなられたすべての人々のために、特に、あの小さな箱の中の小さい紙に名前が書かれている人々のために、祈ります。

今日の典礼は、私たちがこの世を去った後に何が起こるかを思い起こさせます。

死後の世界についての私たちの祈りと黙想は、本日の第一朗読から取られています。葬儀のミサの時、この朗読が使われています。知恵の書の中には「神に従う人の魂は神の手でまもられ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和の内にいる。」と書いてあります。この真理ついて考え、それに従って生きるように努めるのがよいでしょう。この朗読は何を言っていますか。

この朗読は、死についての揺るがない真理を語っていますが、私たちはその真理が当然のことだと考えています。結果として、死は私たちの多くにとって不安の原因となります。私たちみんな、あるいは多くが死を恐れています。どれくらいの人がそれについて公に話しますか。たまにしか話 さないでしょう。死についての理解は旅立ちであり、別れであり、辛いさよならです。それは旧約聖書の死についての理解と同じようです。「愚か 者たちの目には彼らは死んだものと映り、この世から旅立ちは災い、自分 たちからの離別は破滅に見えた。」死は旅立ちであり、完全な消滅です。死者はもはや現在の存在ではなく、過去の者になります。

それは死についての正しい理解ですが、完全ではありません。それは死 の一面に過ぎません。死者はこの世を去り、体は腐敗します。しかし、それは第一朗読が私たちに伝えたい真理ではありません。神に従う人がこの世を去って行っても、神の御手で守られ、平和の内にいると朗読は語っています。これこそが、私たちが死ぬときに経験したいことだと思います。 私たちは安からな死を望んでいます。神の御手が私たちと共にあってほしいと願っています。

私の親しい友達が、安らかな死を望んでいたアントニオという名前の弟について話してくれました。弟が長い間一人で暮らしていたと友達は言い ました。寝る前に、彼は聖ヨセフに捧げる「安らかな死のための祈り」を唱えました。それに加えて、彼は祈りと働きに参加する宗教的な共同体に入りました。祈りは叶えられました。アントニオさんは痛みに苛まれず、病院ではなく、平和の内に自分の家で、人生の幕を下ろしました。

兄弟姉妹の皆さん、第一朗読は私たちに、公正であり、神に喜ばれる生き方をするよう求めています。正しい者であるということは神の味方であると言うことです。正しい者は素直に神に従う者です。弱いのに、正しい人は力いっぱい神の掟を守ります。よく祈ります。

兄弟姉妹の皆さん、今日の典礼は死についての真理を思い出させます。

私たちはそれをよく知っています。死ぬとき、魂は別の場所へ行くと私たちは信じています。その場所はまだわかりません。しかし、永遠の命が私たちの夢であり、また神の私たちへの御心でもあると私は確信しています。私たちは神が私たちに永遠の命を与え、御手で守られ、平和の内に生きることを望んでおられると信じていますが、第一朗読は「神に従う人の魂は神の御手で、守られる」と語っています。正しく生きることは私たちへの招きであり、挑戦なのです。

 

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11月のミサ予定

《11月ミサ予定》 主日10:00〜
November Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

 

11月1日(土)諸聖人 Fr. アマド
All Saints’Day Fr.Amado

11月2日(日) 死者の日 Fr. アマド
All Souls’Day Fr.Amado

11月9日(日)ラテラノ教会の献堂 Fr. アマド
Feast of St. John Lateran Basilica Fr.Amado

11月16日(日) 年間第33主日
子どもとともに捧げるミサ
七五三祝福式 (対象:赤ちゃん〜高校生 ) Fr. アマド
33th Ordinary Sunday Children’s mass
7-5-3 Children’s Blessing Ceremony (For Babies, Infants, Children and Teenagers) Fr.Amado

11月23日(日) 王であるキリスト Fr. 中川
Solemnity of Our Lord,Jesus Christ the King Fr. Nakagawa

11月30日(日) 待降節第1主日
待降節黙想会 共同回心式  Fr. 清川 Fr.高橋
1st Sunday of Advent
Advent Recollection: Penitential Rite and Confession Fr. Segawa Fr.Takahashi

2025年10月19日 年間第29主日(C年)のミサ 説教の要約

《 希望の宣教師 》

29th Sunday C
2025.10.19ミサ説教

今日は世界宣教の日です。私たちキリスト者は宣教師であり、全世界に行って、キリストを述べ伝えるために遣わされたという基本的な真理を、私たちの日曜日の典礼は強調しています。

録画されたビデオで、教皇レオ14世は私たち全員に、希望であるキリストを全世界に行って、教えるのを手伝うよう促しています。それから、教皇様は私たちに「キリスト者は絶望と不安に覆われた世界で希望を築く職人になる」という神からの呼びかけを思い起こさせています。彼は、すべての宣教師のために祈り、教会のすべての司牧的養成・キリスト教の教理教育を支援することを認める言葉で、メッセージを終えました。

兄弟姉妹の皆さん、宣教は元々ラテン語で、“mitere”、派遣されるという意味です。宣教師とは遣わされる人です。 イエスはご自身を「遣わされた者」で、御父を「遣わした方」と呼びました。 要するに、宣教師とは御父から遣わされた人です。

聖書を読んでみると、神と個人的に出会った人々は皆、遣わされていることに気づくでしょう。これに例外はありません。 例を挙げると、 モーセ、サムエル、ヨナ、使徒たち、マグダラのマリア、パウロ、そして何人かの婦人たちの名前があります。個人的な出会いによって、人は宣教師となり、文字通りにも、比喩的にも世に出ていきます。

先週の月曜日は祭日でしたが、何人かの子ども会のメンバーはリーダーたちと一緒に巡礼に出かけました。初めに姫路教会へ行き、聖堂で祈ったり、神父の話を聴いたり、楽しい時間を過ごしたりしました。そして、加古川教会にも寄りました。良い日だったと思いました。実は、この巡礼を特別なものにしたのは、鷹取教会から来た同じ信仰を持つ子どもたちと一緒に行われた霊的な行事です。

巡礼、祈り、神についての話、仲間の信者との交わりは、子どもたちが神に出会う機会です。そして、それは個人的な変化につながり、神とのより深い関係を育み、日常生活の中で神の存在を体験することができます。

この2番目のポイントは、最初のポイントと関係があります。 宣教とは、私たちの信仰を他の人に述べ伝えることで、ほとんどの場合、言葉を通して行われます。

兄弟姉妹の皆さん、自分の信仰について他の人に知らせるのが難しいという、受け入れにくい事実を認めましょう。それはなぜでしょうか。私たちは人々に、特に家族、友人、仲間、一緒に働く人々、親戚に、神について述べ伝える勇気がほとんどありません。 話すことが怖いですか。 私たちの話す能力は、聞く能力ととても近い関係があるのをご存知ですか。 特定の声を聞き続けると、それに慣れて、迷わずその指示に従うようになります。 誰の声に耳を傾けているのでしょうか。 多分、私たちはすでに多くの声に気を取られていて、本当に耳を傾けなければならない声が、ほとんど聞こえなくなっているかもしれません。 繰り返しになりますが、もう一度言わせてください、私たちは重要だと思う声に耳を傾けます。 もし私たちが神の言葉を述べ伝えないのなら、きっと、私たちは神の声に耳を傾けていないということでしょう。聖書によりますと、 聞くことが神の第一のおきてであると言っています。

私たちの心を祈りをもって神に聞き、神の御声に注意深く耳を傾けましょう。そうすれば、私たちは確信と熱意をもって神の御言葉を宣言することができるでしょう。

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2025年10月12日 年間第28主日(C年)のミサ 説教の要約

《 心を込めて感謝する 》

28th Sunday C
2025.10.12ミサ説教

「感謝ほど神の心を完全に勝ち取るものはありません。」と私の宣教会の創立者である聖ヴィンセンシオ・ア・パウロは言いました。

私たちは感謝する心を持つ人間ですか。 両親は私に、受け取ったものが何であれ、「ありがとう」と言葉で伝えることの大切さを教えてくれました。この社会的な礼儀は今でも私の身についています。 フィリピンでは、私たちカトリック信徒は、誕生日を祝い、試験に合格し、学校を卒業し、新しい仕事を見つけ、手術が無事に終わり、成功し、夢が叶ったときにミサを捧げます。 教会の多くのミサの意向は、感謝です。

私たちは信徒として、今日の聖書朗読から学ぶ模範のように、感謝の心を育むべきだと思います。本日の聖書朗読は、感謝について述べています。第一朗読では、ナアマンというシリアから来た人は、自分を癒してくれた預言者のしたことを当り前だとは考えていませんでした。 権力と権威のある人物だというのに、彼は謙遜を持って、自分に好意を示してくれた預言者に感謝しました。

兄弟姉妹の皆さん、ナアマンと同じように、私たちが、感謝の言葉を口にするときに、私たちの地位や権威に邪魔をさせてはいけません。親は子供たちに感謝します。先生は生徒に感謝します。 受け取った贈り物や好意は、贈り主の寛大さのしるしであり、それを贈られるのが私たちの当然の権利ではないという現実を心に留めておきましょう。このことは、忘れてはいけないと思います。

パウロの手紙は私たちに、イエス・キリストのことを思い起こすように促しています。もし、イエスを思い起こすなら、何が起こりますか。イエスを思い起こすことは、イエスの神秘、つまり、説教、受難、そして死への認識につながります。 思い起こすことは感謝につながります。 感謝することは、神からの贈り物に気づくことから来る気持です。私たちは贈り物を受け取った時、「ありがとう」と言います。感謝することと、心に留めておくことはまるで、夫婦のように、いつも一緒です。

確かに、福音は私たちに感謝の心を持つよう教えています。 サマリア人は、自分の病気を癒してくれたことに気づいたので、ありがとうと言うために、イエスのところに戻りました。 誰も彼にそうするように命令しませんでした。 サマリア人のように、私たちの感謝は自発的で、自由に伝えなければなりません。

兄弟姉妹の皆さん、感謝するとは、好意を示してくれた人のもとに立ち返り、感謝の言葉を伝えることです。わたしたちの場合は、神に感謝します。これは謙遜なしもべの態度です。感謝の心を持ちましょう。この社会的な礼儀は、人生に大きな喜びをもたらします。

最後に、感謝の気持ちは神の心だけでなく、周りの人々の心も勝ち取ります。 感謝の心はコミュニティや人間関係を良好に築きます。 家族やコミュニティにおいて、恩知らずで、誇りの高すぎる人とはかかわりたくないものです。 これらの人々は自分自身を高く評価し、他人が自分のために多くのことをしてくれることを期待し、他人から受け取るものを当然のこととして受ける権利があると考えています。 他人に好意を寄せることは必ずしも義務ではありません。 自由な好意です。

有名な中世の神秘家マイスター・エックハルトはこう言いました。 「もし、あなたが人生でただ一度の祈りとして、“ありがとう”というだけであったとしても、それで十分である。」と。

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2025年10月5日 年間第27主日(C年)のミサ 説教の要約

《 私どもの信仰を増してください 》
27th Sunday C
2025.10.5 ミサ説教

この日曜日の聖書朗読は、信仰について語っています。私たち一人一人が、同じ方法で、この信仰を受けました。それは洗礼です。信仰を通して、私たちは目に見えない神を信じ、私たちよりもはるかに優れた存在だと考えます。

「わたしどもの信仰を増してください」 と、使徒たちは福音の中で、イエスに願いました。彼らは、私たちが日曜日に教会に来て、毎日神に祈り、生きた神の言葉を勉強した、その理由を、言葉で話しました。 信仰を増すのに、私たちはこれらすべてをしています。

いつものように使徒たちの質問に応じて、イエスは明確で直接的には応えませんでした。しかし、彼は、からし種のような小さな信仰が、偉大なことをすることができると教えられました。 「もしあなた方にからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、抜け出して海に根を下ろせと言っても、いうことを聞くであろう。」 つまり、信仰の大きさは関係なく、大事なのは、私たちがそれを持ち、それに従って生きるということです。

2つの方法で、私たちの信仰は増し、成長します。本日の第一朗読の中で、預言者ハバククは恐ろしくて、怖いビジョン・幻を見ました。その幻は、困難な時、試練の時、苦しみと痛みの時について語ります。 その幻を見て、預言者ハバククはただこう言いました。 「主よ、私が助けを求めて叫んでいるのに、いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。」と。預言者ハバククは神の無関心さに対して、がっかりしていました。

兄弟姉妹の皆さん、預言者ハバククのように、私たちは皆、危機と痛みと不安の時を経験します。そうなると、 神の不在をより強く感じます。私たちは弱くなり、自分の限界と無力さが胸に思い浮かびます。 神は私たちの叫びに耳を傾けず、無関心であるように見えます。この頃になると、「神に従う人は信仰によって生きる、」 という人である預言者ハバククの模範に、私たちは習い従います。信仰は私たちをキリストにつなぎ留めます。 危機や困難の時、信仰を持つ人は待つことを知っています。 希望を持って待っています。 彼らは神が助けに来てくださり、困難を見抜く恵みを与えてくださると信頼しています。

沈黙のうちに、今の人生に私たちを悩ませていることは何かを考えてみましょう。 私たちの信仰は、自分たちの問題に立ち向かうのに、どのような助けを与えますか?

福音の中で、イエスは使徒たちに、主人に畑で働くように言われたしもべについてのたとえをなさいました。 これは、イエスが使徒たちにも私たちにも、神のご計画における私たちの本当の位置、つまり私たちが神のしもべであることを知るように告げる方法です。 神のしもべは何でしょうか。神のしもべとしての私たちにはこの世に使命を持っています。洗礼の秘跡を受けたときに、私たちはこの使命を受けとりました。 私たちはまさにキリストの使命に参加します。 司祭として、教会のすべてのメンバーのために、祈ります。王として、お互いに責任があります。 預言者として、真理を宣言し、それを守ります。 何をするにしても、名声や賞賛、そして、おせじを求めてはなりません。 私たちは単に義務を果たしているだけであることを心に留めています。

兄弟姉妹の皆さん、 信仰を増すことは、報酬を期待せずに使命を果たすことです。 イエスと人々に仕え、私たちの使命を果たすことは特権であると同時に、私たちの主であるイエスの使命そのものに参加し、私たちのために常に働いてくださるイエスの模範に倣い従うことです。本当に大きな恵みです。それはすでに報酬です。 信仰を増すことは、自分自身を完全に神に捧げることです。そして、 私たちは、ただひたすらに神なる主の御心のままで、まるで、主人の手の中のしもべのようです。

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10月のミサ予定

《10月ミサ予定》 主日10:00〜
October Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

10月5日(日) 年間第27主日 Fr. アマド
27th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月12日(日) 年間第28主日 Fr. アマド
28th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月19日(日) 年間第29主日 Fr. アマド
29th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月26日(日) 年間第30主日 子どもとともに捧げるミサ Fr. 中川
30th Ordinary Sunday Children’s mass Fr. Nakagawa

10月はロザリオ月です。
この期間中、主日ミサ前にロザリオの祈りを聖母マリアにお捧げします。
ロザリオをご持参ください。
5(日)、19(日)、26(日):9時40分 〜 二連
12(日):9時10分 〜  一環

October is the month of the holy rosary.
During this month, we will recite the rosary before mass.
On October 5, 19 and 26, the recitation of the rosary starts at 9:40 am,
and on October 12, it starts at 9:10 am.

2025年9月21日 年間第25主日(C年)のミサ 説教の要約

兄弟姉妹の皆さん

2025.9.21ミサ説教

おはようございます!International Dayを祝うために、垂水教会であなた方と一緒にいるのは本当に嬉しいことです。日本に来るのは今回で2回目ですが、すでに皆さんの温かさを感じています。 そして今日、私たちがInternational Dayを祝いますが、その温かさには特別な目的があります。

正直に言うと、本日の朗読は非常に厳しいし、大きな不安です。 その朗読は私たち、特に権力を持つ人々と管理者の心を揺さぶるかもしれません。

預言者アモスは厳しく語っていますよね?彼は貧しい者を踏みつける人と、貧しい者の靴を買い取る人を非難しました。彼は深刻な不正、弱い立場にある人々をだまし、彼らの人間性を忘れるシステムについて話していました。 神がそのような行いを決して忘れないと予言者アモスは言いました。

一方、福音書で、イエスは別の教訓を教えてくださいました。それは深くつながっています。 「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」とイエスは私たちに教えられました。このようにして、彼は誠実さについて話しておられます。それは日常生活の小さなことへの向き合い方で、私たちの真の性格を明らかにします。

兄弟姉妹の皆さん、今日の朗読を聞きながら、それらは厳しい罰ではなく挑戦だと思います。それに対して、キリスト共同体としてのあなた方が既に、力を尽くして応じていると思います。

感謝の気持ちを伝えたいと思います。 皆の親切さに心より感謝申し上げます。あなた方はベトナム、アメリカ、イギリス、インドネシア、フィリンピン、中国、その他多くの国から来た兄弟姉妹を歓迎してあげました。ただドアを開けただけではありません。あなたがたは心を開きました。

私は以前、移住労働者のために働きました。彼らの話をよく知っています。自分の家族から離れる痛み、新しい言葉を学ぶ恐れ、外国人としての立場の弱さを聞いてわかりました。非常に難しいです。 ですが、同時に、私は彼らのほかの気持ちもを知っています。日本について語るとき、多くの人が苦難ではなく感謝の気持ちを語ります。 彼らは公正な雇い主、敬意を払う隣人、受け取った優しさについて話します。

これが福音の実践です! これは「ごく小さなことに忠実になる」ことです。 あなたの文化は、主にカトリックではないかもしれませんが、私たちの信仰の中心にある価値観を放射しています。つまり、よく働くこと、考えること、他人に対する深い敬意、そして、言葉だけでなく、行動に表れる思いやりです。あなた方は困っている人々を守り、手を差し伸べるので、誠実さを生きています。アモスはあなた方を褒めています。

今日、International Dayを祝うにあたり、私たちは、これがギブアンドテイクの関係であると理解しています。これは美しい、相互の贈り物の交換です。 あなたがたは平和と帰属場所、つまり、そこに繋がることで安心できる場所を提供してくれます。 そして、多くの国からの兄弟姉妹のおかげで、特に、彼らの喜び、信仰、愛情、そして伝統の共有により、あなた方の共同体と文化は豊かになります。 皆さんは共に、より明るく、より多様で、より美しい教会を築いています。

ですから、今日は、このいただいた恵みの交流を神に感謝しましょう。 計り知れないほど寛大な神が、日本の教会を祝福し続けてくださいますように。 神が心を開いたあなた方のために祝福してくださいますように。 そして、ここに家を見つけたすべての移住労働者の兄弟姉妹を祝福し、私たちがキリストにある一つの家族であることを私たち全員に思い出させてくださいますように。アーメン。

 

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9月のミサ予定

《9月ミサ予定》 主日10:00〜
September Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

9月7日(日) 年間第23主日 Fr. ヤント レンゴ (レデンプトール会)
23rd Ordinary Sunday Fr.Yanto Lengo, Cssr

9月14日(日) 十字架称賛 子どもとともに捧げるミサ Fr. アマド
ミサ後 園遊会
Feast of the Holy Cross Children’s mass Fr.Amado

9月21日(日) 年間第25主日 Fr. アマド
垂水インターナショナルデー
ミサ後、中庭にて各国の文化紹介 小雨決行 雨の場合は信徒会館にて
※この日はノーカーデーです。お車は近隣の駐車場をご利用ください。

25th Ordinary Sunday Fr. Amado
Tarumi Church’s International Day
Program follows after mass at the parish ground. In case of rain, it will be held at the parish pastoral building.
※This will be a Car-Free Day. Please use nearby parking facilities.

9月28日(日) 年間第26主日 Fr. 中川
26th Ordinary Sunday Fr. Nakagawa

2025年8月17日 年間第20主日(C年)のミサ 説教の要約

《 分裂 》

20th Sunday Year C
2025.8.17ミサ説教

この感謝の祭儀で、私たちは正式に平和月間が終わります。 私たちが平和について多くのことを学んだだけでなく、自分たちの小さな方法でも、平和のために働くことを強く励まされていると希望しています。皆が努力すれば、平和は可能になります。

本日の聖書朗読は私たちの閉幕式に適切なので、御摂理の神に感謝します。ルカ福音書では、私たちがイエスの口から聞くことを最も期待していない言葉、つまり分裂について話されました。「あなた方は、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」と、このようにご自分の大事な話をはっきり話されました。自分たちに最も近い人々、つまり、私たちの家族の間で分裂が行われるでしょう。イエスの言葉は真実です。紛争は私たちの家族、友人、共同体の間で起こります。不一致も起こります。その結果、平和は失われます。

イエスは何を言いたいのでしょうか ? 本日の福音をよく読んでみましょう。 分裂や対立の原因は、キリストを信じて従うことです。 ここでの主な話は使徒職です。イエスに従うという私たちの呼びかけが現代的な信念やライフスタイルに直面するときに 、対立と分裂は必ず起こります。預言者エレミヤの体験は良い例だと思います。その時の権力者たちは預言者の言葉を聞いて、彼の行いを見て、耐えられませんでした。 その結果、彼らは預言者に対して冤罪を告発しました。 フェイクニュース、噂、不正は不信感を引き起こし、人間関係を破壊します。

分裂や対立やぶつかり合いなどの原因は罪だと第二朗読は語っています。罪に陥らないように、 聖なる著者は、じっとイエスを見つめながら、忍耐力を持って、走るように私たちに勧めています。 つまり、私たちは天の故郷である最終点に達するまで、善を行い、信仰を生きるために精一杯努力するということです。 悪を避けるだけでは十分ではなく、善を育むことも大事なことです。 励ましとして、聖書朗読は私たちが証人の群れに囲まれていると述べています。かくして、 私たちは目を開けて、周りに多くの善人たちがいることに気付く必要があります。 それは真実です。 私たちの周りには、イエスの静かな働き手がたくさんいます。

兄弟姉妹の皆さん、残念なことに、私たちはますます罪の感覚を失っていきます。 それは危険です。 罪は分裂を生み出し、そのため、平和が失われます。 そして、罪から立ち直り、平和を取り戻すためには、和解と赦しを通して神の元に立ち返る必要があります。 和解と赦しなしでは、平和、特に心の中の平和を取り戻すことは不可能になります。

数年前、私は宗教者平和協会主催の平和会議に参加しました。 広島で開催されました。 参加者は平和公園と博物館を訪れる機会がありました。 そのとき出会ったシエラレオネ出身の元反政府勢力の方の分かち合いをいつも思い出します。

赦しは私たち皆にとって簡単なことではありません。それはイシュマエル・ベアという元少年兵にも当てはまります。 強い復讐心と憤りを抱く人でした。 彼の人生は傷と暴力でいっぱいでした。 彼は戦争で荒廃した国であるシエラレオネで生まれ育ちました。 彼は子供の頃、家族全員が殺されるのを見ました。 これが彼が政府軍に入隊した理由でした。 少年兵だった彼には、同じ年の子供たちと遊んだり、学校に通ったりするなど、楽しい子供時代の記憶はちっともありませんでした。 何人を殺したかと尋ねられたとき、「数え切れないほど多い」と彼は答えました。 仲間の兵士を通して、彼はマリファナを吸うことと禁止薬物をとることを学びました。 自分の依存症と暴力的な態度を他人から習ったと彼はよく言いました。

誰もが聖霊降臨という回心の瞬間を持っています。 彼の聖霊降臨が起こったのは、彼がユニセフとNGOによって暴力的な状況から救出されたときでした。 しかし、彼は、暴力から優しさへ、復讐から許しへ、恨みから感謝へと回心するのが難しいことに気づきました。 回心は、彼の世話をしてくれた愛情深い看護師と司祭からの思いやりを経験したときに起こりました。 真の回心は、思いやりを感じたときに起こります。 同じ様に、私たちが心から人を許し、また許しを求めるときに、平和がやって来ます。

神の平和があなた方の上にありますように !

 

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