「垂水教会一般」カテゴリーアーカイブ

主に垂水教会内での情報

10月のミサ予定

《10月ミサ予定》 主日10:00〜
October Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

10月5日(日) 年間第27主日 Fr. アマド
27th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月12日(日) 年間第28主日 Fr. アマド
28th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月19日(日) 年間第29主日 Fr. アマド
29th Ordinary Sunday Fr.Amado

10月26日(日) 年間第30主日 子どもとともに捧げるミサ Fr. 中川
30th Ordinary Sunday Children’s mass Fr. Nakagawa

10月はロザリオ月です。
この期間中、主日ミサ前にロザリオの祈りを聖母マリアにお捧げします。
ロザリオをご持参ください。
5(日)、19(日)、26(日):9時40分 〜 二連
12(日):9時10分 〜  一環

October is the month of the holy rosary.
During this month, we will recite the rosary before mass.
On October 5, 19 and 26, the recitation of the rosary starts at 9:40 am,
and on October 12, it starts at 9:10 am.

2025年8月21日 年間第21主日(C年)のミサ 説教の要約

《兄弟姉妹の皆さん》

2025.9.21ミサ説教

おはようございます!International Dayを祝うために、垂水教会であなた方と一緒にいるのは本当に嬉しいことです。日本に来るのは今回で2回目ですが、すでに皆さんの温かさを感じています。 そして今日、私たちがInternational Dayを祝いますが、その温かさには特別な目的があります。

正直に言うと、本日の朗読は非常に厳しいし、大きな不安です。 その朗読は私たち、特に権力を持つ人々と管理者の心を揺さぶるかもしれません。

預言者アモスは厳しく語っていますよね?彼は貧しい者を踏みつける人と、貧しい者の靴を買い取る人を非難しました。彼は深刻な不正、弱い立場にある人々をだまし、彼らの人間性を忘れるシステムについて話していました。 神がそのような行いを決して忘れないと予言者アモスは言いました。

一方、福音書で、イエスは別の教訓を教えてくださいました。それは深くつながっています。 「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」とイエスは私たちに教えられました。このようにして、彼は誠実さについて話しておられます。それは日常生活の小さなことへの向き合い方で、私たちの真の性格を明らかにします。

兄弟姉妹の皆さん、今日の朗読を聞きながら、それらは厳しい罰ではなく挑戦だと思います。それに対して、キリスト共同体としてのあなた方が既に、力を尽くして応じていると思います。

感謝の気持ちを伝えたいと思います。 皆の親切さに心より感謝申し上げます。あなた方はベトナム、アメリカ、イギリス、インドネシア、フィリンピン、中国、その他多くの国から来た兄弟姉妹を歓迎してあげました。ただドアを開けただけではありません。あなたがたは心を開きました。

私は以前、移住労働者のために働きました。彼らの話をよく知っています。自分の家族から離れる痛み、新しい言葉を学ぶ恐れ、外国人としての立場の弱さを聞いてわかりました。非常に難しいです。 ですが、同時に、私は彼らのほかの気持ちもを知っています。日本について語るとき、多くの人が苦難ではなく感謝の気持ちを語ります。 彼らは公正な雇い主、敬意を払う隣人、受け取った優しさについて話します。

これが福音の実践です! これは「ごく小さなことに忠実になる」ことです。 あなたの文化は、主にカトリックではないかもしれませんが、私たちの信仰の中心にある価値観を放射しています。つまり、よく働くこと、考えること、他人に対する深い敬意、そして、言葉だけでなく、行動に表れる思いやりです。あなた方は困っている人々を守り、手を差し伸べるので、誠実さを生きています。アモスはあなた方を褒めています。

今日、International Dayを祝うにあたり、私たちは、これがギブアンドテイクの関係であると理解しています。これは美しい、相互の贈り物の交換です。 あなたがたは平和と帰属場所、つまり、そこに繋がることで安心できる場所を提供してくれます。 そして、多くの国からの兄弟姉妹のおかげで、特に、彼らの喜び、信仰、愛情、そして伝統の共有により、あなた方の共同体と文化は豊かになります。 皆さんは共に、より明るく、より多様で、より美しい教会を築いています。

ですから、今日は、このいただいた恵みの交流を神に感謝しましょう。 計り知れないほど寛大な神が、日本の教会を祝福し続けてくださいますように。 神が心を開いたあなた方のために祝福してくださいますように。 そして、ここに家を見つけたすべての移住労働者の兄弟姉妹を祝福し、私たちがキリストにある一つの家族であることを私たち全員に思い出させてくださいますように。アーメン。

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2025年9月21日 年間第25主日(C年)のミサ 説教の要約

兄弟姉妹の皆さん

2025.9.21ミサ説教

おはようございます!International Dayを祝うために、垂水教会であなた方と一緒にいるのは本当に嬉しいことです。日本に来るのは今回で2回目ですが、すでに皆さんの温かさを感じています。 そして今日、私たちがInternational Dayを祝いますが、その温かさには特別な目的があります。

正直に言うと、本日の朗読は非常に厳しいし、大きな不安です。 その朗読は私たち、特に権力を持つ人々と管理者の心を揺さぶるかもしれません。

預言者アモスは厳しく語っていますよね?彼は貧しい者を踏みつける人と、貧しい者の靴を買い取る人を非難しました。彼は深刻な不正、弱い立場にある人々をだまし、彼らの人間性を忘れるシステムについて話していました。 神がそのような行いを決して忘れないと予言者アモスは言いました。

一方、福音書で、イエスは別の教訓を教えてくださいました。それは深くつながっています。 「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」とイエスは私たちに教えられました。このようにして、彼は誠実さについて話しておられます。それは日常生活の小さなことへの向き合い方で、私たちの真の性格を明らかにします。

兄弟姉妹の皆さん、今日の朗読を聞きながら、それらは厳しい罰ではなく挑戦だと思います。それに対して、キリスト共同体としてのあなた方が既に、力を尽くして応じていると思います。

感謝の気持ちを伝えたいと思います。 皆の親切さに心より感謝申し上げます。あなた方はベトナム、アメリカ、イギリス、インドネシア、フィリンピン、中国、その他多くの国から来た兄弟姉妹を歓迎してあげました。ただドアを開けただけではありません。あなたがたは心を開きました。

私は以前、移住労働者のために働きました。彼らの話をよく知っています。自分の家族から離れる痛み、新しい言葉を学ぶ恐れ、外国人としての立場の弱さを聞いてわかりました。非常に難しいです。 ですが、同時に、私は彼らのほかの気持ちもを知っています。日本について語るとき、多くの人が苦難ではなく感謝の気持ちを語ります。 彼らは公正な雇い主、敬意を払う隣人、受け取った優しさについて話します。

これが福音の実践です! これは「ごく小さなことに忠実になる」ことです。 あなたの文化は、主にカトリックではないかもしれませんが、私たちの信仰の中心にある価値観を放射しています。つまり、よく働くこと、考えること、他人に対する深い敬意、そして、言葉だけでなく、行動に表れる思いやりです。あなた方は困っている人々を守り、手を差し伸べるので、誠実さを生きています。アモスはあなた方を褒めています。

今日、International Dayを祝うにあたり、私たちは、これがギブアンドテイクの関係であると理解しています。これは美しい、相互の贈り物の交換です。 あなたがたは平和と帰属場所、つまり、そこに繋がることで安心できる場所を提供してくれます。 そして、多くの国からの兄弟姉妹のおかげで、特に、彼らの喜び、信仰、愛情、そして伝統の共有により、あなた方の共同体と文化は豊かになります。 皆さんは共に、より明るく、より多様で、より美しい教会を築いています。

ですから、今日は、このいただいた恵みの交流を神に感謝しましょう。 計り知れないほど寛大な神が、日本の教会を祝福し続けてくださいますように。 神が心を開いたあなた方のために祝福してくださいますように。 そして、ここに家を見つけたすべての移住労働者の兄弟姉妹を祝福し、私たちがキリストにある一つの家族であることを私たち全員に思い出させてくださいますように。アーメン。

 

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9月のミサ予定

《9月ミサ予定》 主日10:00〜
September Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

9月7日(日) 年間第23主日 Fr. ヤント レンゴ (レデンプトール会)
23rd Ordinary Sunday Fr.Yanto Lengo, Cssr

9月14日(日) 十字架称賛 子どもとともに捧げるミサ Fr. アマド
ミサ後 園遊会
Feast of the Holy Cross Children’s mass Fr.Amado

9月21日(日) 年間第25主日 Fr. アマド
垂水インターナショナルデー
ミサ後、中庭にて各国の文化紹介 小雨決行 雨の場合は信徒会館にて
※この日はノーカーデーです。お車は近隣の駐車場をご利用ください。

25th Ordinary Sunday Fr. Amado
Tarumi Church’s International Day
Program follows after mass at the parish ground. In case of rain, it will be held at the parish pastoral building.
※This will be a Car-Free Day. Please use nearby parking facilities.

9月28日(日) 年間第26主日 Fr. 中川
26th Ordinary Sunday Fr. Nakagawa

2025年8月17日 年間第20主日(C年)のミサ 説教の要約

《 分裂 》

20th Sunday Year C
2025.8.17ミサ説教

この感謝の祭儀で、私たちは正式に平和月間が終わります。 私たちが平和について多くのことを学んだだけでなく、自分たちの小さな方法でも、平和のために働くことを強く励まされていると希望しています。皆が努力すれば、平和は可能になります。

本日の聖書朗読は私たちの閉幕式に適切なので、御摂理の神に感謝します。ルカ福音書では、私たちがイエスの口から聞くことを最も期待していない言葉、つまり分裂について話されました。「あなた方は、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」と、このようにご自分の大事な話をはっきり話されました。自分たちに最も近い人々、つまり、私たちの家族の間で分裂が行われるでしょう。イエスの言葉は真実です。紛争は私たちの家族、友人、共同体の間で起こります。不一致も起こります。その結果、平和は失われます。

イエスは何を言いたいのでしょうか ? 本日の福音をよく読んでみましょう。 分裂や対立の原因は、キリストを信じて従うことです。 ここでの主な話は使徒職です。イエスに従うという私たちの呼びかけが現代的な信念やライフスタイルに直面するときに 、対立と分裂は必ず起こります。預言者エレミヤの体験は良い例だと思います。その時の権力者たちは預言者の言葉を聞いて、彼の行いを見て、耐えられませんでした。 その結果、彼らは預言者に対して冤罪を告発しました。 フェイクニュース、噂、不正は不信感を引き起こし、人間関係を破壊します。

分裂や対立やぶつかり合いなどの原因は罪だと第二朗読は語っています。罪に陥らないように、 聖なる著者は、じっとイエスを見つめながら、忍耐力を持って、走るように私たちに勧めています。 つまり、私たちは天の故郷である最終点に達するまで、善を行い、信仰を生きるために精一杯努力するということです。 悪を避けるだけでは十分ではなく、善を育むことも大事なことです。 励ましとして、聖書朗読は私たちが証人の群れに囲まれていると述べています。かくして、 私たちは目を開けて、周りに多くの善人たちがいることに気付く必要があります。 それは真実です。 私たちの周りには、イエスの静かな働き手がたくさんいます。

兄弟姉妹の皆さん、残念なことに、私たちはますます罪の感覚を失っていきます。 それは危険です。 罪は分裂を生み出し、そのため、平和が失われます。 そして、罪から立ち直り、平和を取り戻すためには、和解と赦しを通して神の元に立ち返る必要があります。 和解と赦しなしでは、平和、特に心の中の平和を取り戻すことは不可能になります。

数年前、私は宗教者平和協会主催の平和会議に参加しました。 広島で開催されました。 参加者は平和公園と博物館を訪れる機会がありました。 そのとき出会ったシエラレオネ出身の元反政府勢力の方の分かち合いをいつも思い出します。

赦しは私たち皆にとって簡単なことではありません。それはイシュマエル・ベアという元少年兵にも当てはまります。 強い復讐心と憤りを抱く人でした。 彼の人生は傷と暴力でいっぱいでした。 彼は戦争で荒廃した国であるシエラレオネで生まれ育ちました。 彼は子供の頃、家族全員が殺されるのを見ました。 これが彼が政府軍に入隊した理由でした。 少年兵だった彼には、同じ年の子供たちと遊んだり、学校に通ったりするなど、楽しい子供時代の記憶はちっともありませんでした。 何人を殺したかと尋ねられたとき、「数え切れないほど多い」と彼は答えました。 仲間の兵士を通して、彼はマリファナを吸うことと禁止薬物をとることを学びました。 自分の依存症と暴力的な態度を他人から習ったと彼はよく言いました。

誰もが聖霊降臨という回心の瞬間を持っています。 彼の聖霊降臨が起こったのは、彼がユニセフとNGOによって暴力的な状況から救出されたときでした。 しかし、彼は、暴力から優しさへ、復讐から許しへ、恨みから感謝へと回心するのが難しいことに気づきました。 回心は、彼の世話をしてくれた愛情深い看護師と司祭からの思いやりを経験したときに起こりました。 真の回心は、思いやりを感じたときに起こります。 同じ様に、私たちが心から人を許し、また許しを求めるときに、平和がやって来ます。

神の平和があなた方の上にありますように !

 

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2025年8月10日 年間第19主日(C年)のミサ 説教の要約

《 恐れと信仰 》

19th Sunday C
2025.8.10ミサ説教

恐怖は聖書によく出てくるテーマです。その重要性は旧約聖書と新約聖書の両方で見られ、預言者や祭司、犠牲者や抑圧者、弟子、否定者、疑いを抱く人々によっていつも語られています。天使は、マリアとヨセフのような特定の選ばれた人々に挨拶するために、それを使用しました。

数日前にロシアで大地震が起きたとき、日本当局は高さ3メートルの津波が発生する可能性があるため、直ぐに市民に高台に行くよう警告しました。 アメリカに住む叔母は、生放送のニュースで津波の警告を聞いた後、怖がって私に何回も電話をかけて、私に通じなかったので、妹に電話をかけ、後に津波のことを話してくれました。姉に「大丈夫だよ。恐れることはない」と言いました。このようなニュースを聞くと、いつも恐怖を感じます。地震に慣れている人々でもそうでしょう。

私たちは皆、それぞれ恐怖を持っています。 私たちは孤独、見捨てられること、拒絶されること、皆の前で話すこと、病気、死ぬことを恐れています。貪欲や嫉妬のように、恐れは破壊的な感情です。 認識された危険があるので、私たちに不快や不安を抱かせます。もしも、恐れが大きいなら、私たちは活動をしないし、何もできないと感じます。しかし、私たちには 少しの恐れが要ります。 立ち止まって準備をさせてくれます。

多くの人々によると、恐れはキリスト的使徒職の敵だということです。イエス・キリストの口から絶え間なく出てくる言葉の一つは「恐れることはない」です。本日の聖書福音では、イエスは弟子たちに言われました。「恐れるな。」と。神の国は彼らのものなので、喜ぶように促しました。「あなた方の父は喜んで神の国をくださる。」と。弟子たちは神の国に属しているので、信仰によって生き、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない、富に心を置かなければなりません。

兄弟姉妹の皆さん、恐れがこの不安な世界に、人間の生活にも、常に、そしてこれからもあります。 確かに、私たちが答えなければならないのは、次の津波や台風、地震がいつ来るのか、商品の物価の上昇がいつ止まるのかということではなく、恐怖に包まれた時にどうすればいいかということだろう。

ベトナムの有名な人であるニャット・ハンさんは次のように述べています。「恐怖の時には、熟考することを身につけ、そして、それをする必要があります。私たちは恐怖や不安の動きに注意を払いながら、自分の心の深い望み?を思い出し、それに調和をもたらす必要があります。」と。熟考することは祈りです。 祈りを通して、私たちは重荷から解放することが出来ることに気づきます。それから、自分の平和と強さを見つけるでしょう。

だが、第二朗読は、私たちに信仰を持ち、アブラハムの模範に倣うように促します。 主がご自分に従うように頼まれたとき、アブラハムは主への完全な信頼を示しました。 彼は自分の故郷から離れ、約束された息子を待ち、その後、息子を神に捧げました。 要するに、アブラハムは計画がはっきりしないにもかかわらず、ただ従ったのです。

信仰によって生きるということは、明確な計画を持ち、安全な地面を踏み、途中で危険に向き合わないという意味ではありません。 それは神の民に対する約束ではありません。神の唯一の約束は、私が終わりの日まであなたがたとともにいて、私の名はインマヌエルで、神は私たちとともにおられるという意味です。 それが信仰の本当の意味であり、神は私たちとともにおられるということです。 信仰は、神が私たちを暗闇の中に一人残さないという希望に根ざしているべきです。神は私たちと共に歩み、途中で、私たちに力をくださいます。

兄弟姉妹の皆さん、神は私たちの恐れを取り除くのではなく、その中を私たちとともに歩んでくださるのです。 恐怖の中で、私たちは時々神のおられることを感じませんが、静かに神は私たちとともにおられ、見守ってくださいます。 神が私たちに恐怖に向き合うのに、十分な力を与えてくださると信じましょう。 この不安な世界に生きる人々として、私たちは恐怖ではなく希望に根ざさなければなりません。

 

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2025年8月3日 年間第18主日(C年)のミサ 説教の要約

《 貪欲に注意 》

18th Sunday C
2025.8.3ミサ説教

フィリピンの大学の卒業式に 招待されたゲストスピーカーは、卒業生たちにこう言いました。 「もしも、お金があなたがたの唯一かつ永続的な目的であるなら、あなたがたは人間になろうとする必要はありません。あなたがたが知っているように、富を手に入れる最も簡単な方法は、近道をし、権力者と協力し、他の人を搾取することです。」

お金が多ければ多いほど幸せになるという話がありますが、 多くの人がそれを信じて、それによって、生きています。そのため、人々は多くのお金を得るために一生懸命働いています。 彼らは、お金を持っているか、お金を使うか、あるいはその両方によって幸福を見つけることができるかのように生きています。

彼らは間違っています。 貪欲は限界がないという一つの真実を彼らは忘れてしまっています。貪欲が私たちの生活にどんな影響を及ぼしているのかを、たまにしか振り返りません。赦しの秘跡を受ける時に、それについて神父様に告白しますか。

貪欲は私たちに破壊をもたらします。ルカの福音書で、イエスは人々に言われました。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさない。」と。そして、この言葉で話しを終えました。「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである。」と。 つまり、人はこの世で多くのものを手にして、それが幸福を与えるかもしれませんが、それで、満足を感じるわけではありません。 それに、その幸福はそんなに深くないし、一時的なものにすぎません。

イエスはご自分のポイントを明確にするために、成功したお金持ちについての例えを話されました。お金持ちは自分に言いました。 私に必要なものはすべて持っています。私はとても豊かです。「倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまいます。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えが出来たぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」 つまり、周りすべてを完全に忘れてしまいました。 彼は自分のことだけを考え、自分の幸せだけを心に残して、他のことに対して、無関心でした。その態度に対して、「愚か者よ。今夜、お前の命は取り上げられる。」と神様が話されたとイエスは言われました。 金持ちは貪欲で、すべては大丈夫だったと思ったので、この世を去って行くという真実を完全に忘れてしまいました。そのため、「すべては空しい。」

私たちは貪欲を、おもにお金を貯めたいという過度の欲求と考えていますが、権力、食べ物、富、物質的なものに対する強い欲求も貪欲とも呼ばれます。 貪欲とは、まだ足りないという感覚です。 貪欲な人は、すでにたくさん持っているにもかかわらず、まだもっと欲しがっています。 つまり、欲求は限界がありません。

貪欲には嫉妬という双子の妹がいます。 嫉妬とは、私たちの欲しいものを持っている他の人に対する貪欲さです。 人生を悲劇的なものにしたいなら、人生に貪欲と嫉妬を歓迎した方がいいです。

兄弟姉妹の皆さん、この貪欲というテーマを、私たちの平和月間の行事に結びつけさせてください。 貪欲は個人的な罪だけでなく、社会的な罪でもあります。 国や人のグループが過度に権力やお金を追求する場合、その行為は罪と考えられる可能性があります。 お金、財産、富、遺産をめぐる紛争によって破壊された人間関係、つまり家族、兄弟、夫婦、友情をどれほど多く見てきましたか。 貪欲は利己主義、過度の自己愛から来るものです。 貪欲がある場所では、争いはありうることです。 それは世界の多くの不正の根源です。 小さな人々の声は聞こえません。 貪欲な人は弱者や貧しい者を圧迫します。 それのせいで、社会にはいつも不正と腐敗があります。 人々が権力の座にとどまりたいと思う理由でもあります。 本当に、平和を願うなら、寛大さと感謝の気持ちを育みましょう。

 

慈しみ深い父よ、私たちがシンプルな生活をし、日常生活の中であなたの寛大で愛情深い手を見るのを助けてください。

 

 

 

8月のミサ予定

《8月ミサ予定》 主日10:00〜
August Mass Schedule Lord’s day 10:00〜 (Japanese)

平和月間(7月と8月)
Peace Months (July and August)

8月3日(日) 年間第18主日 子どもとともに捧げるミサ Fr. アマド
18th Ordinary Sunday Children’s mass Fr.Amado

8月10日(日) 年間第19主日 Fr. アマド
19th Ordinary Sunday Fr. Amado

8月15日(金) 聖母の被昇天 Fr.アマド
Assumption of the Blessed Virgin Mary

8月17日(日) 年間第20主日
平和月間閉幕インターナショナルミサ Fr. アマド
ミサ後、信徒会館にて茶話会
20th Ordinary Sunday
Closing International Mass for the Peace Month. Fr. Amado
After the mass, Tea party at the parish hall.

8月24日(日) 年間第21主日 Fr. 中川
21th Ordinary Sunday Fr. Nakagawa

8月31日(日) 年間第22主日 Fr. ヤント レンゴ (レデンプトール会)
22th Ordinary Sunday Fr.Yanto Lengo, Cssr

2025年7月20日 年間第16主日(C年)のミサ 説教の要約

《 人を第一に 》

16th Sunday C

2025.7.20ミサ説教

私が日本語を勉強していたとき、教科書の章の1つに「挨拶は心のパスポート」というタイトルがありました。この章は、人間関係において、挨拶の重要性について語っています。 言うまでもなく、非常に重要です。

フィリピンなど他の国のレストランやお店に入ると、すぐにスタッフが近づいて挨拶をします。 「おはようございます、何にいたしますか?」 「この店のお勧めはいかがでしょうか?」 「こんにちは、パウロと申します。今日はあなたの係になります。」 そして、「メニューを見て、何を注文しようか考えている間に、飲み物は何にいたしましょうか?」 注文した食べ物を持ってきた後、数分後にウェイトレスが戻ってきて、「食べ物はお口にあいますか?すべては大丈夫ですか?」と訊きます。食事が終わって、帰ろうとしているとき、 一斉に「また来てください」と言われます。その 挨拶は心から来ると思いますか? 彼らは本当に本気で言っているのでしょうか? それをおもてなしと呼ぶのでしょうか?

おもてなしについては私より、皆さんの方がよくご存じです。おもてなしは日本の文化です。電車の清掃、鉄道員の丁寧なお辞儀、優しい運転手、デパートの開店儀礼など、日常生活に見られます。日本のおもてなしとは、お客様に対する心からのケアを意味します。それは心のこもったサービスだと理解されています。

本日の聖書朗読はおもてなしという善を強調しています。イスラエルの宗教的な古い時代の価値観でした。アブラハムが天幕の前に立っていた三人の見知らぬ人を見たとき、丁寧にひれ伏して、温かく歓迎し、足を清めるために、水を差し上げ、豪華な食事と休む場所を用意しました。 何よりも、アブラハムは見知らぬ人に対して、親切で、敬いの心でテントに迎え入れたのです。本当に、寛大で素晴らしい亭主でした。

アブラハムのおもてなしは自分の信仰から出るものでした。 知らないうちに天使たちをもてなしたかもしれないという、深い信念で彼はもてなしをしました。アブラハムの模範から、 見知らぬ人を歓迎することは決して無駄ではなく、私たちの優しさを受けた人は、報酬は必要あ

りませんが、思いがけない祝福をもたらすかもしれないし、他人、特に見知らぬ人に示されるあらゆるもてなしは、神に見られることを学ぶことが出来ます。

イエスを家に迎え入れたマルタとマリアもおもてなしを示しました。 マルタは食事の準備に忙しくしていましたが、マリアはイエスの足もとで話を聞くために、時間を過ごしました。マルタが、何も手伝わないマリアのことでイエスに不平を言いうと、 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。マリアは良い方を選んだ。」とイエスが言われたとき、彼は彼女に、自分の優先順位を知るべきだと思い出させました。 彼女はイエスを優先すべきでした。イエスは親しい友達でした。長い旅で疲れていました。多分、長い間 、彼らは会っていなかったかもしれません。 彼女もイエスの話に耳を傾ける時間を持つことができるように、余計な準備をすべきではありません。 おもてなしは、ただサービスだけでなく、側にいることにも表れます。

先週の日曜日、私たちは展示会を開き、同時に平和について分かち合いました。 教会のリーダたちは、力いっぱいその活動の準備をしていました。 彼らと参加してくださったすべての方々に感謝しています。 控えめに言っても、その分かち合いは成功しました。 それは彼らの積極的な参加のおかげでした。 平和について考えると、私たちが本当に平和を願うなら、特にそれが私たちの家族、友人、そして私たちのグループの人々のためだけでなければ、おもてなしが答えになります。私が最初に、ウェイターやお店での挨拶について言ったように、おもてなしとは、単に良いサービスではありません。 おもてなしとは、人々を第一にし、私たちが人間であり、この土地はすべての人のためのものであることを認めることです。私たちはこの世に生きています。ですから、私たちは終わりのない平和を願い、おもてなしをしています。